メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

司法を後追いするアルハラ報道 「発表」にとどまらず真相究明を

服部孝司

 本誌2009年6月号の本欄で取り上げた一気飲み事故死をめぐる民事訴訟が昨年6月に和解した。この裁判結果を機に同種の飲酒事故に対する司法の判断が大きく変わろうとしている。前回取り上げたのは、神戸学院大学2年の男子学生がクラブの合宿中に急性アルコール中毒が原因で死亡した事故で、遺族が「息子は上級生らに焼酎の一気飲みを強要され昏睡状態になったにもかかわらず長時間放置され、嘔吐物がのどに詰まって窒息死した」と上級生らと大学を相手取って神戸地裁に損害賠償請求をしていた。和解は被告の学生と大学に責任を認めさせる完全勝訴に近い内容で、とりわけ画期的なのは「アルコールハラスメントに当たる」との見解を裁判所が示したことだ。

 遺族が訴訟に踏み切ったのは、管理人が常駐する大学施設内にもかかわらず、上級生が焼酎の原液を手拍子とイッキコールであおって下級生に回し飲みさせ、被害者が倒れた後、救急車を呼ぶなどの処置も取らず死に至らしめた事実とその責任を明らかにするためだった。しかし、同種の民事訴訟で過去の判例の多くは、自らの意志で飲んだという壁に阻まれ遺族らの訴えは退けられてきた。アルハラへの社会の問題意識も希薄で、神戸のケースのように「飲酒の強要はなかった」との大学発表を鵜呑みにした各紙のそっけない初報がその実態を如実に物語っている。一気飲みを酒席での座興とみなす慣習と、立場の弱い者に「自己責任で飲め」と突き放すような考えがまかり通る中での裁判闘争だった。

 しかし、2年3カ月に及んだ裁判で事態は大きく変化した。審理の途中で一気飲ませを録画していたビデオの存在が明らかになったことも節目となった。被告側はその映像などから「飲酒の強要ではない」と主張したが、裁判官は口をこじ開けるなどの直接的行為がなくても「心理的に飲まざるを得ない圧力をかけた飲酒の強要」との心証を強め、過去の判例を乗り越える新たな判断へと踏み切った。

 今年3月には愛知学院大学テニスサークルの合宿中に飲酒を強要され急性アルコール中毒死した学生の両親が上級生らと大学に損害賠償を求めた名古屋地裁の訴訟が神戸のケースと同様の内容で決着し、司法の変化は決定的になった。

 その後を追うように新聞も重い腰を上げ始めた。今春の入学シーズンにはアルハラ防止を訴える記事やコラム、識者のオピニオンが目立つようになった。だが、NPO法人の「アルコール薬物問題全国市民協会(ASK)」や遺族らでつくる「イッキ飲み防止連絡協議会」の活動がなければ新聞はどこまで取り上げただろうか。アルハラの問題点も被害件数も防止キャンペーンも、提供しているのは過度な飲酒による健康被害に警鐘を鳴らしてきたASKであり、新たな犠牲者を出すまいと願う我が子を亡くした親たちだ。

 被害を減らすことに協力する報道を否定はしない。とはいえ資料をもらって書くだけでは消極的すぎまいか。ASKの統計を見ても神戸や名古屋の裁判の後も一気飲ませの被害はなくなっていないし、大学の隠蔽体質は相変わらずだ。その真相解明を司法や遺族に任せておいてジャーナリズムの使命を果たしているといえるだろうか。

●注目される北海道新聞 アルハラを「犯罪」報道

 その中で注目されるのが今年5月、小樽商科大学アメリカンフットボール部員が急性アルコール中毒で死亡した事故に対する新聞報道である。とくに北海道新聞は独自取材をもとに積極的に報道しており神戸の事例と対照的な紙面を展開している。学内の調査委員会が「明らかな強要はなかった」との結論を出した際には、同調査委の報告書発表記事に合わせ「アルハラの認識不足」との見出しを付けた署名入りの「解説」を掲載。心理的に飲まざるを得ない状況は「強要に当たる」との神戸地裁の判断を引用して「酒を無理強いする『アルコールハラスメント』に対する大学の認識の甘さを露呈した」とASKや学識者のコメントを紹介している。そして大学に対する「身内のかばい合い、保身」との遺族の怒りを「当然」とし、専門家を加えた再調査を要求している。

 記事数も他紙を圧倒しており、アルハラの問題点に迫る多様なサイド記事が目を引く。死亡した学生の母親へのインタビューは「息子は倒れたあの日から人間としての誇りを奪われたままだ。親として名誉を守ってあげたい」との肉親の切実な思いを伝える。理不尽な死の真相を求める遺族の手記やインタビュー記事は他の犯罪被害ではしばしば見かけるが、アルハラ被害ではこれが初めてではないだろうか。事故3カ月後の特集記事も、小樽商大生が宴会に使う飲食店経営者の「もし私の子供もこんな目に遭うなら、大学になんか行かせたくない」とのコメントを冒頭に載せ、アルハラを明確に「犯罪」視している。

 新聞もようやくここまで来たかとの感慨を抱くが、今回の道新の報道姿勢はまだ少数派と言わざるを得ない。神戸のケース以降、大学生がアルハラで死亡した事故は15件にも上るが、大半は短い1報や2報で終わっている。これでは、なぜ学生は死なねばならなかったかという真相は闇のままだ。中日新聞編集委員の安藤明夫さんは相次ぐ飲酒コンパでの死亡事故を防ごうと開催されたシンポジウムで「報道する側にも問題があります。多くの記事が事件発生当時の警察発表だけです。あるいは、発生から1日もたたないうちに大学が『強要はなかった』と発表し、それを報じて終わってしまう。これでは『勝手に飲んで死んだ』ということになる。真実の解明まではいかないのです」(6月9日、イッキ飲み防止連絡協主催)と訴えている。

 過去の事故も含めてアルハラ被害に新聞がどう向き合うか、ジャーナリズムの真価が問われている。(「ジャーナリズム」12年10月号掲載)

   ◇

服部孝司(はっとり・こうじ)

神戸新聞社取締役。1951年北九州市生まれ。大阪芸術大学卒。75年神戸新聞社入社。文化生活部長、編集局次長、地域活動局長などを経て現職。