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「沖縄独立論」を聞く衝撃 那覇で開催「マス倫懇」全国大会

臺宏士

 新聞、放送、出版の219社でつくるマスコミ倫理懇談会全国協議会(マス倫懇)の第56回の全国大会が「沖縄で問う日本の今とメディアの責務」をテーマに9月26、27日、那覇市で開かれた。海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが米軍岩国基地(山口県)から普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に飛来しようとするなかで全国から290人が参加し、4つの報道分科会に分かれて討議した。9割がオスプレイ配備反対という県民世論を押し切った日米政府に対する沖縄の言論人の反応は、不信を通り越し怒りとなり、それは、本土の報道機関にも向けられていた。

 大田昌秀・元沖縄県知事は「沖縄問題とメディア」をテーマにした基調講演で「基地は要らないのであって(オスプレイが)安全であるかどうかが問題なのではない。本土マスコミにはそこが理解されていない」と指摘し、琉球新報も1面でこの発言部分を取り上げた。県民、自治体、地元紙の3者がオスプレイ配備反対で歩調を合わせる沖縄の基地問題は、「基地負担軽減」「沖縄振興策」といった小手先の弥縫策では解決しない、と少なくない参加者が感じて本土に帰ったのではないかと思う。沖縄大会での経験を今後どう報道に生かすのかが問われている。

 「大田さんが沖縄独立論について公の場で言及したのは初めて聞いた」。在沖縄メディア関係者でさえ驚きを隠さなかった。それほど講演は刺激的だった。「沖縄は歴史では一度も人間扱いされていなく、モノ扱いだった。多数派の目的を達成するための手段、捨て石にされた。多数決原理を根拠に少数派が差別されている。構造的差別だ。モノ扱いがこれ以上続くなら独立論も出てくる」。大田氏はそう訴えたのだ。

 今年は、沖縄が日本に復帰した1972年から40周年の節目に当たる。当時、県民には戦力を持たず恒久平和をうたった日本国憲法が適用されることを支持する声が強かったと聞く。ところが、日本で米軍が単独使用する基地の4分の3が沖縄に集中し、県面積の1割、沖縄本島の2割を占める状況にある。いまなお沖縄はアジアにおける米軍の重要な戦略拠点と位置づけられている。大田氏は「復帰40年を機に沖縄で真剣に問い直されている問題がある。いったい復帰とは何だったのか。復帰してよかったのか。沖縄が帰りたいような日本であってほしいが、そういう復帰になっていない。沖縄は平和憲法の下に返されたのではなく、日米安保体制の下に返された」と指摘した。その心情は報道関係者にもある。

 富田詢一・琉球新報社長はあいさつの中で「沖縄の民意は『オスプレイも普天間の県内移設もだめ』と明らかだ。普天間の県内移設やオスプレイの配備を『第三の琉球処分』とする見方がある」と紹介したうえで、「琉球は日本ではないと政府に言ってもらったほうがいい。そうすれば政府に頼らないで国際世論に訴える」と述べた。富田社長は大田氏のように「独立」という表現を使っていないものの同じ趣旨の考えを表明していると言っていい。琉球新報はこの発言部分については紙面化していないが、同じ日(9月28日)の社説は「沖縄は植民地ではない」を主見出しにした。

●突きつけられる「沖縄差別」の視点

 独立論の背景には沖縄経済が基地依存から脱却しつつあることもある。県企画部によると、県民総所得に占める基地関連収入の割合(基地依存度)は72年度が5013億円のうち15・5%だったのに対して09年度は3兆9376円のうち5・2%に低下している。返還された基地跡地の開発や観光業など県経済が大きく発展したためだ。「基地がなくなると沖縄は困るのではないか」。県外の人からしばしば、こんな指摘を受けるという。比嘉徳和・県企画調整統括監は「沖縄経済は基地で成り立っていない」と明言していた。

 沖縄で影響力のある人たちに「独立」発言までさせるものは何なのか。それを解く言葉が「構造的差別」ではないか。「温度差」では説明しきれない。

 報道分科会でパネリストの一人として報告した沖縄タイムスの謝花直美特別報道チーム部長によると、「差別」という表現は、9月9日のオスプレイ配備反対県民大会で登壇者らが使っていたが、「論点をはっきりさせ主張する言葉として獲得されてきた」という。例えば、琉球新報は10月3日社説の見出しに「オスプレイ抑止力 構造的差別維持する詭弁だ」と付けている。新崎盛暉・沖縄大名誉教授は『新崎盛暉が説く 構造的沖縄差別』(高文研)の中で、その意味について、「数十年にわたる思考停止状態の中での『沖縄の米軍基地に対する存在の当然視』こそ、構造的沖縄差別にほかならない」と解説している。沖縄からすれば、普天間移設やオスプレイ配備に批判的であったとしても基地の存在を前提とした論調は、推進派と同じに映るのかもしれない。

 昨年11月、普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた環境影響評価書の提出時期をめぐって、沖縄防衛局長が那覇市内の居酒屋であった記者との懇談会で、女性への性暴力にたとえて話したことが表面化した。オフレコ発言であったものの、その場にいた琉球新報記者が記事にしたことで政治問題化し、防衛局長は更迭された。その後、懇談会は開かれていないという。

 今回、暴言の舞台となった居酒屋で、沖縄関係者の発言の意味を考えた。95年の米兵による少女暴行に限らず、痛ましい事件がいまも相次ぐ。琉球新報には「被害者の視点」があった。防衛局長の発言を報じた判断は正しかったのだと改めて思う。

 「差別」という言葉は「口にするには自分の痛みや弱さを一旦飲み込まないといけない」(謝花部長)というほど重い。それを口にし始めた沖縄県民。本土のメディア、特に全国紙に対して、「差別される側の視点」を突きつけた全国大会だった。(「ジャーナリズム」12年11月号掲載)

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臺 宏士(だい・ひろし)

毎日新聞社会部記者。1966年埼玉県生まれ。早稲田大学卒。90年毎日新聞社入社。著書に『個人情報保護法の狙い』(緑風出版)ほか。