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暴力団でないアウトロー「半グレ」の実態

小野登志郎

小野登志郎 ノンフィクションライター

 《六本木事件と「関東連合」》

 今年9月に発生した東京・六本木の殺人事件。警視庁は防犯カメラの映像分析から実行犯が元暴走族の集団である「関東連合」のメンバーであることを割り出し、彼らを凶器準備集合罪の容疑で全国に指名手配し、その後2人が出頭してきた。この六本木事件の実行犯15名のうちの何人かは、既に海外逃亡したと報じられている。

 「関東連合」とは、都内の暴走族の元メンバーが結成したとされる“グループ”で、「半グレ」と呼ばれる不良集団であるとされている。筆者の知るところでは、その構成員は都内各地の中流以上の家庭、環境からドロップアウトした者たちだ。また「関東連合」は強固な組織のように受け取られているが、その実態はあやふやなものに過ぎない。

 「関東連合」というふうに表現されると、なにか確たる実態があるもののように捉えられてしまうが、「関東連合」には山口組などヤクザ組織と同等に語られるべき組織ではない。彼らは例えば年代ごとの元総長の下につるむ集団であり、そのメンバーも常に変動している。彼らは便宜上「関東連合」と総称して呼ばれているが、「関東連合」をもって「半グレ」を語れるかというと、そう単純なものでもない。

 「半グレ」とは、暴力団に詳しいジャーナリスト・溝口敦氏の造語とされている。「半グレ」というからには「本グレ」があるわけで、それはヤクザ、暴力団のことを指している。ヤクザでも堅気でもないグレーゾーンにいることから溝口氏はそうした不良集団を「半グレ」と呼んだようだ。つまり「半グレ」とは、あくまでもヤクザ、暴力団に対応している言葉なのである。

 しかし「半グレ」には確たる定義はない。言い換えればヤクザ、暴力団組員以外のアウトロー集団はすべてが「半グレ」とも言えるのである。とはいえ暴対法下の現在では、ヤクザの成員もまたファジーなものとなっているし、組織を抜けた元組員も大勢いる。こうした者たちもまた「半グレ」に含まれるようである。

 この「半グレ」という存在は、平成3年の暴対法施行以後20数年の間に起こった日本の闇社会の“地殻変動”を見ないことには理解できないと筆者は考える。「半グレ」台頭の呼び水となったのは暴対法であり、また、その後に制定された地方自治体の暴排条例といえよう。そこで、やや遠回りになるが暴対法がもたらした効果と”反作用”についてみていく必要がある。

《暴対法がもたらした暴力団秩序の“変貌”が「半グレ」を生んだ》

 いわゆるヤクザを中心として成り立っていた日本の闇社会が変貌を遂げるきっかけとなったのは平成3年5月15日に国会を通過し成立した暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(法律第77号)をきっかけとしている。この法律が実際に施行されたのは翌年平成4年3月1日であった。

 法律制定当時、暴力団による民事介入暴力が頻発していたことが挙げられる。また、一方では拳銃など銃器を使用した対立抗争事件が続発し、一般市民が巻き添えで死傷する事件が発生していた。そうした暴力団の組織活動に対し、刑法等これまでの取締り法規では対応が困難になっていた。そのため、取締強化のため新たな法律の制定が求められていたのである。

 暴対法の正式名「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」という名前の中にその特徴がよく示されているように暴対法は、暴力団員などによる暴力的要求行為を禁ずることが主な内容としている。つまりこの法律を用いて警察が暴力団を取り締まることが容易になることを意図したものである。そのために、この法律ではまず特定のヤクザ組織を指定暴力団に指定することが必要であった。暴力団に指定されると、その組員の不法行為に対し使用者責任で組長を検挙することが可能となった。これは、暴力団という組織がいわゆる親分子分の関係を基礎においていることに着目したものである。子である組員が暴力団の名を名乗って利益供与を強要すると親である組長にも使用責任が及ぶというもので、これにより組員の不法行為を抑制する効果を狙ったものである。山口組などの広域化した暴力団に対し「指定広域暴力団」)として指定しその取締を可能にした。そうやって山口組の他に稲川会、住吉会などの広域暴力団を含む22の暴力団が、指定暴力団に指定された。

 また平成24年7月には企業襲撃を繰り返したり、抗争事件を起こしたりする暴力団を新たに「特定危険指定暴力団」「特定抗争指定暴力団」に指定する等の対策を盛り込んだ改正案が成立し、10月30日施行された。この改正では、対立抗争に係る指定暴力団等を特定抗争指定暴力団等として指定し、また、指定暴力団の構成員等が凶器を使用して人の生命又は身体に重大な危害を加える方法による暴力行為を反復継続するおそれがある場合、当該指定暴力団等を特定危険指定暴力団等として指定できるようになった。これは主に九州の暴力団の間で起こった抗争事件の激化に対応したものであった。

 このように、暴対法は徐々に改正され、また、その適用の幅も広がっていった。決定的だったのは、組員の犯罪行為の使用者責任を強調することで、使用者責任を持つ組長、幹部等の逮捕が容易になったことだった。これは、いわゆる抗争事件などで実行犯のみでなく、組長や幹部も罪に問うものであり、暴力団間の抗争を抑制する効果を狙ったものであったが、その狙いは見事に的中することになる。暴対法の施行、そしてその厳格適用によって、確かに暴力団間の抗争は激減したのである。さらに、暴力団員による資金獲得活動もこの法律施行以前に比べ格段に困難になった。

《暴排条例の制定で暴対法との相乗効果を狙う》

 だがその一方で、暴対法施行の結果、活動を削がれた暴力団も黙ってはいなかった。その活動を巧妙化させ、法律に抵触しないような抜け道がいくつも考え出された。それはいわゆる企業舎弟の増加などで、一般社会への進出や巧妙に組織を擬装させること等、組織の不可視化が進んだ。これにより暴力団は欧米のようなマフィア化の道を歩むことともなった。

 またここが重要なのだが、

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