メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

横浜刑務所不祥事の原因と対策

河合幹雄

河合幹雄 桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)

 横浜刑務所で、受刑者の診療録の誤廃棄を隠すため、開示請求された文書を捏造する事件が起きた。私は、横浜刑務所の刑事施設視察委員を2007年より3年間つとめ、誤廃棄がなされた2009年度には視察委員長をつとめていた。公文書偽造・同行使容疑で書類送検された医務部長とも当然、面識がある。今回の事件の原因について踏み込んだ考察をしてみたい。対策については、当時、視察委員長として法務大臣宛の意見書で提言したことと一致する。刑務所長が毎年入れ替わり、他の幹部もほとんど短期で移動するなか、幹部としてただひとり10年以上勤務を続ける医務部長を監督できるわけがない。刑務所長の任期は四年以上とし、例外でも3年は勤めていただかねばならないと考える。

 まず、朝日新聞の報道より、経過を確認しておこう。2009年、当時の衛生係長と医務部事務係は、10年間の保存が義務づけられている公文書にあたる受刑者の診療録を、保存期間を5年と勘違いしたのか、1999~04年分、約3600人分を誤廃棄してしまった。誤廃棄に気づいた事務係は自分の人事異動を控えた11年2月、02~04年の診療録があるように装うため、1カ月ごと3年分の背表紙を付けた偽ファイル36冊を作成した。中身は、05~07年の各月の診療録から半分抜き出してとじ込んだという。なお、この偽装工作を衛生係長は黙認した。医務部長も誤廃棄については知っていた。

 そこに、2012年4月、朝日新聞が、刑務所の文書管理の実態取材の一環として、02~06年に横浜刑務所にいた受刑者のうち、代表として各年1人ずつの計5人分の診療録を情報公開請求した。誤廃棄の発覚を恐れた医務部長と衛生係長は、収容中だった3人の受刑者のカルテに、02~04年に出所した別の受刑者の名前などを書き入れた表紙をつけ、この3年分の診療録と偽って開示請求担当者に提出した。東京管区は、その捏造された診療録を5月、病名や症状、処方内容などを黒塗りにして開示した。

 誰がどのようにして見破ったのかは、報道されていないが、法務省東京矯正管区は12年12月12日、横浜刑務所の医務部長(59)と医務部衛生係長(45)を公文書偽造・同行使容疑で横浜地検に書類送検した。前医務部事務係(38)は訓告処分、監督責任のある伊藤譲二・横浜刑務所長を厳重注意とした。なお、医務部長は当時の所長に誤廃棄について報告していなかったという。もう一点、法務省東京矯正管区によると、同省は11年4月、横浜刑務所を含む管轄の全組織に対し、異なる部署同士で年1回、公文書の管理状況を点検するように通達したにもかかわらず、前庶務係長(50)は所内各部署に通達を伝えていなかった。そのため、戒告処分となった。そして、横浜地検は12年12月21日付で送検されていた両名を不起訴処分(起訴猶予)とした。

 この事件の原因を探るとすれば、大きく刑務所医療の問題と所内の管理の問題の二点に分けられるだろう。今回焦点を絞りたいのは、後者であるが、医療問題について、先に簡潔に整理しておきたい。受刑者も治療を受ける権利があり、堀の外に出せない者の治療のために刑務所内に医者が必要である。それも、緊急事態も考えて、常勤医が不可欠である。ところが、医者の側からみれば、重篤な病人は医療刑務所に送られ、普通の刑事施設では、チャレンジングな医療はできない。そもそも、設備も古い。収入も、開業医よりもかなり低くなる。常勤医には、世のための奉仕をしていただいているというのが現状である。したがって、人員調達に苦労が絶えず、この横浜刑務所の医務部長のように長年勤めていただいているようなことが多い。私の印象では、この医務部長も所内で大変信頼されていたように思う。そこに落とし穴があったということであろう。

 刑務所の管理面についてだが、事件の重大性について言及しておく必要がある。診療記録の保管は、受刑者が医療を受ける権利が守られるようにすることが制度目的である。今回、文書の保管に問題はあったが、発覚してはまずい記録を葬ったのではなく単純ミスであった。もちろん、単純ミスを装って大事な記録を「失くす」ことはよくあるので注意しなければならないが、今回は、本当に単純ミスだと私は見ている。当時、受刑者から医療についての苦情の手紙が、視察委員に対する提案書として、どの受刑者でも投函できる状況にあり、それを読んでいた者としての手ごたえである。それを前提に考えると、個人の刑事処分としての起訴猶予は妥当であろう。むしろ、公文書の管理ができていないことは、組織として重大なのである。組織の問題を考えておこう。

 情報公開と絡んだ公文書の管理の重要性というのは、近年、重要になってきているが、確かにかつては、それほど重視されてこなかったことも事実である。中央にいる者にとって、時代の要請が変化し、情報公開が重要になってきていることは、ある程度認識されていると感じる。しかし刑事施設の現場では、そのような世間からの要請に、それほど敏感であったとはみえない。前述のように通達を出しても、現場の課長がサボッテいるなどは典型的な出来事である。どうやって現場の意識を変えるか。そこに問題があったと考える。

 振り返れば、1960年代までは、刑務官が襲われて毎年数名が命を落とし、脱獄も多数あった。戦後、治安は

・・・ログインして読む
(残り:約1165文字/本文:約3378文字)