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TVは60年後も経済装置、社会装置である

倉沢鉄也

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

 テレビが還暦を迎えた。もともとは1940年の「幻の東京オリンピック」にあわせて開始予定だったとも言う。戦後経済成長の波を待つ形でスタートしたテレビ端末の普及は「三種の神器」として国民全体に受け入れられてきた。「自宅で(1970年代からモバイルもあり)音声付映像の無料配信」という技術的性質に、映画ともラジオとも違うコンテンツ制作のノウハウを試行錯誤していった結果、在宅中の人たちに、「見たくなくても無理やり見させる」という強烈なメディアパワーを獲得してきた。この国民的普及とメディアパワーの好循環によって、テレビ放送局という会社は、新聞やラジオの報道力を、映画の娯楽力を、そして日本に存在するあらゆる広告媒体に対して、並立あるいは凌駕する事業体として成長してきた。

 テレビに初めから面白いコンテンツがあったわけではない。映画会社と決裂して新聞社と広告代理店の資本で始まったテレビ局は、昭和30年代(1955~64)の10年間くらいをかけてテレビ番組とテレビ広告の見せ方のノウハウを得た。だから現代においてアーカイブ映像に耐えるのは昭和40年以降と言っていい。この10年間を先行して支えたのが、ニュースとスポーツと歌というライブ映像コンテンツであり、そこにテレビ映えするスターが必然的に生み出されたのが、いわゆる街頭テレビの風景であった。そしてテレビは家に入り、フルカラーを得、モバイルにもなり、また逆に薄くなり大きくなりきれいになって、1人1台以上の存在となっていった。

 その後も、リモコンによるザッピング、CMのタイミングを見計らっての中座や電源OFF、ビデオ録画再生によるタイムシフト視聴とCM飛ばし、そして自分から能動的に操作する限りは史上最強の便利さを誇るインターネットの出現、などに対して、実にずるくも上手な対抗策を講じてきた。「正解はCMの後で」「続きはWebで」また出演者と広告タレントの一致、時間限定の応募受付、など様々なアイデアで、ひたすらテレビをリアルタイムで見せ続ける工夫を研ぎ澄ませてきた歴史を持つ。

 テレビ広告の表現も、番組の表現と一緒に進化してきた。それは世の流行を伝える報道的な内容を持ち、同時に(おそらくは無駄な)購買を促すことによって、テレビ広告自身がGDPの0.5%の市場を占めるとともに、GDPの6割を占める個人消費を後押しする経済効果を担ってきた。

 忘れてはいけないことが、あと2つある。1つは、テレビ放送局の収益力が、映像付きのリアルタイム報道という、超・高コストのコンテンツを支えることができたという点である。幸い民間放送局の多くは新聞社が設立に参画しているために、報道のノウハウと、人材そのものも早期に得ることができた。もう1つは、放送法に定めたNHKの視聴料が、撮影カメラなど放送以外にも汎用性のある国家的技術開発に投じられ、それをオープンソース化する仕組みがあったという点である。この2点の所業は、残念ながらインターネットのビジネスがおそらく今後も手をつけない、つけられないものだ。ネット業界からのチャレンジは、2010年までにすべて終わってしまったように思える。

 以上をもって、時代錯誤のテレビ礼賛と見るのなら、それは日本社会の構造に対する勉強が足りない。自分を先頭にして世の中のトレンドは違う方向に向かっているというなら、日本の縮図(性・年齢・地域等)になるよう割り付けたアンケート調査結果や、マクロ統計を見るとよい。そしてなぜ現場にヘリコプターを飛ばしてでもテレビカメラと記者が向かうのか、なぜネット企業がテレビに広告を大量出稿するのか、の答えを出してみるとよい。

 テレビは良くも悪くも日本の経済装置であり、社会装置である。インターネットが代替する道のりは遠く、

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