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 世界選手権の激闘を乗り越えて。

 左膝を痛めた羽生結弦は、まる1カ月氷に乗らず、仙台の実家で静養。スケート連盟表彰式などの行事に参加した後、4月下旬、カナダ・トロントに戻った。

 足のケガに不安を残し、体調も不安定。そんななかでも5月は、デイビッド・ウィルソンとともに新しいプログラムの振り付けにも着手している。そして5月末には、アイスショー「アート・オン・アイス」出演のため帰国。藤井フミヤの名曲「TRUE LOVE」に乗り、約2カ月ぶりに元気に滑る姿を見せてくれるはずだ。

 しばらくはアイスショーで彼のスケートを楽しめるオフシーズン。2012年は初めてミュージシャンの生演奏とコラボレートしたナンバーを披露し、ショーマンとしての新たな魅力に気づかせてくれた。 

四大陸選手権のエキシビションで演技する羽生結弦=2013年2月11日拡大四大陸選手権のエキシビションで演技する羽生結弦=2013年2月11日
 ショーナンバーながら昨シーズン、大きな印象を残した「花になれ」。アイスショーシーズンの今、改めて振り返ってみよう。

 「結弦君とは、当日まで全然面識がなかったんですよ。福井で初めて会って、最初にふたりでちょこっと話して、『まずはなんも意識しないで、一回やってみましょう』ってことになりました。とにかく最初は自由にね、ってリハーサルをやってみたら……もうなんだか、歌っていてすごく気持ちが良かった! それが僕だけじゃなく、結弦君もだったんです。リハの後に彼が来てくれて、『わあああ。もう、ヤバいっす!』と(笑)」

 「花になれ」を歌うシンガー・指田郁也氏は、羽生結弦との出会いをこんなふうに振り返る。

 もともとこのナンバーは、2012年9月に福井で開催されたアイスショー、「ファンタジー・オン・アイス」のために指田氏の楽曲の中から選ばれ、振りつ付けられたものだ。

 当時の羽生はショー出演のため、トロントから8月末に帰国し、振付師の宮本賢二氏とともにプログラムを作成。12-13シーズンは、デイビッド・ウィルソン、ジェフリー・バトル、カート・ブラウニングと、3人のカナダ人振付師と初めて手合わせをした羽生だが、実は宮本賢二氏の作品を滑るのも、「花になれ」が初めてだった。

 「とにかく羽生君は、真面目に練習する選手ですね。振りを覚えるのも、とにかく早い。僕としては、彼の手足が長く顔も小さく、形が整っているところを存分に生かせたらな、と思って振り付けたんですよ」(宮本氏)

 「賢二先生とのプログラム作り、すごくやりやすかったです。まずひとつひとつの振りについて、すごく詳しく教えてくれる。たとえばすごく印象的なところで入ってるイーグルは、『これは羽で跳ぶイメージだよ』と。歌詞に対してどんな意味を動きに持たせていくのか、深いところまで教えてくれる。かゆい所に手が届く、みたいな感じかな(笑)」(羽生結弦)

 「彼もすごくこの曲を気にいっていましたし、歌詞には風や空や太陽が出てきて、透明感があります。その雰囲気に合うように、スピード感のあるプログラムにしてみました。僕から見ても、気持ちよさそうに滑ってますよね」(宮本氏)

 宮本氏の指導は厳しい、と多くの選手たちが嘆くが、羽生との共同作業は真剣ながらもぶつかり合うことなく、和やかな雰囲気で進んだ。ふたりの動きを見ていると、宮本氏の動きや指示を、羽生があっという間にこなしてしまうカンどころの良さに驚く。また、「もうちょっとこうしたら?」という宮本氏の指示も的確で、ひとつのアドバイスでぐっと動きが良くなっていく様も面白い。

 その動きも、羽生結弦の良さを巧く生かして振り付けられていることに、多くの人が気づいただろう。素直に動く身体と気持ちのままに、スムーズにでき上がって行くプログラム――振り付けは滞りなく、3日で終了。そのまま福井入りし、冒頭の指田氏との顔合わせとなった。

 実は羽生は、生歌との共演をかなり楽しみにしていたようだ。もともと音楽が大好きで、日々、iPodが手放せないタイプ。また2011年にも同じショーに出演したのだが、そのときは願っていたコラボレーションを実現できない悔しさがあったのだ。2011年のゲストアーティストは、仙台在住のロックバンド、MONKEY MAJIK。ファンならご存知の通り、彼はそれ以前の09-10年にMONKEY MAJIKの楽曲「Change」を通常のエキシビションナンバーとして滑っている。

 「『Change』、本格的にボーカルの入った曲で滑るのが初めてで、すごく新鮮だったし、滑っていて楽しいプログラムでした。世界ジュニアで優勝した年に作ったもので、僕のエキシビションナンバーとしては代表作になりそうなもの。この曲の生演奏で滑れたら、嬉しかったのになあ。ミュージシャンとの共演って、ほんとうに憧れなんですよ」(羽生、2011年のコメント)

 しかし「Change」は、MONKEY MAJIKの楽曲に三味線の吉田兄弟が参加したもので、彼らがいなければライブでの演奏は難しかったこと。そして何より、まだ世界選手権に出場もしていなかった羽生は、メインのスケーターたちのようにミュージシャンと競演するにはまだ時機尚早と見られていたのだ。

 だが今度は、誰にも文句を言わせない世界選手権銅メダリスト。彼を目当てに来場するお客さんも多いなか、堂々とショーのハイライトとなるコラボレーションナンバーを滑ることができる。

 「そのうれしさは、僕も同じです。もちろん結弦君の名前は知っていましたが、ミュージシャンがアイスショーで歌う機会があるなんてことは、知りませんでした。スケート選手とコラボできるなんて思ったこともなかったので、ちょっとびっくり。そしてうれしくて、『これはちゃんと歌わなきゃな!』と(笑)。僕にとっても新しい挑戦ができるんだ、とすごく嬉しくなりましたね」(指田氏)

 17歳(当時)と、26歳。年齢もジャンルも違えど、それぞれの世界でのニュースター同士、ほんとうにわくわくする顔合わせとなった。  

 「歌にタイミングがあるように、スケートにもジャンプするタイミングとか、ありますよね。そんなところを合わせたほうがいいんじゃないかな、なんて最初は思ったんです。でも結局、特には意識せず、とにかくふたりともが気持ちよく、ってことを大前提にやっていきました。

 だから僕はただ、いつものライブ通りに。結弦君は、『歌詞の中に入りこんで滑ります』と。おかげで最初の公演から、緊張して『やばい、どうしよう……』ってこともなく、気持ちよくできましたね。

 そのとき遠目で彼を見ていて思ったんですが、プログラムの動きは、すごくシンプル。でもシンプルなものほど、すごく難しいはずです。そんな動きに、あそこまで感情移入して表現できるのは、すごいな……と。しかも彼は18歳、先日18歳になったばかりだという。いや、これはすごいことです」(指田氏)

 羽生自身も、滑りながら曲を聞いて泣きそうになるほど入りこんでいたと言い、そんな彼の言葉も指田氏はとてもうれしかったそうだ。

 「2公演目も同じテンションで行けたし、3公演目はラストで、ふたりともめちゃめちゃ気合いが入っていました。やる前から、『今までも気持ちよくやったけど、最後は今まで以上に気持ちよくやろう!』『じゃあもう、ふたりとも陶酔するまでやっちゃおう!』と。かなりテンションが上がっていたので、『もう一曲くらい、やっちゃいません?』なんて、結弦君が言いだしたくらいです。『じゃあ、やっちゃおうか!』となって、実際に『〈花になれ〉が終わった後、ふたりで何かやってもいいですか?』と掛け合ってもみました。それは結局時間の都合で難しかったんですが、そのくらいふたりともノリノリだった。ラストの3公演目では、すべてを出しきった! という感じでしたね」(指田氏)

 実際この公演中、羽生結弦は面白いくらいハイテンション ・・・続きを読む
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筆者

青嶋ひろの

青嶋ひろの(あおしま・ひろの) フリーライター

静岡県浜松市生まれ。2002年よりフィギュアスケートを取材。日本のトップ選手へのインタビュー集『フィギュアスケート日本女子 ファンブック』『フィギュアスケート日本男子 ファンブック Cutting Edge』を毎年刊行。著書に、『最強男子。 高橋大輔・織田信成・小塚崇彦 バンクーバー五輪フィギュアスケート男子日本代表リポート』(朝日新聞出版)、『浅田真央物語』『羽生結弦物語』(ともに角川つばさ文庫)、『フィギュアスケート男子3 最強日本、若き獅子たちの台頭 宇野昌磨・山本草太・田中刑事・日野龍樹・本田太一」(カドカワ・ミニッツブック、電子書店で配信)など。最新刊は、『百獣繚乱―フィギュアスケート日本男子―ソチからピョンチャンへ』(2015年12月16日発売、KADOKAWA)。

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