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長崎の原爆犠牲者慰霊祈念式典で考えた

大久保真紀 朝日新聞編集委員(社会担当)

 8月9日、長崎の原爆犠牲者慰霊祈念式典で、築城昭平さん(86)が被爆者の代表として、語りました。とても心を動かされる内容でした。

 築城さんは当時18歳。師範学校の2年生でした。動員されていた三菱兵器住吉トンネル工場で夜勤を終え、寮で寝ていました。爆心地から1・8キロのところです。バリバリバリという音で目が覚め、その瞬間、爆風で吹き飛ばされ、気がついたときは部屋の壁に打ちつけられていたそうです。築城さんは、左手首と左足が焼けただれ、飛び散ったガラスの破片で体中から血が流れ、赤鬼のような姿になりました。
 20メートルほど先の防空壕までなんとか歩くと、そこには、たくさんの人がいました。黒こげになっている人、皮がぺろりと垂れ下がっている人、鼻や耳がなくなっている人、息絶えた我が子を抱きしめ放心状態で座り込んでいる母親、全身焼けただれぼう然と立っている人々の姿があったそうです。
 その後、生死の境をさまよった築城さんは、幸いにも生き延びることができた、と話しました。その彼が、日本政府の姿勢を厳しく批判しました。その言葉は力のこもったものでした。

 わが国は世界で唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶の先頭に立つ義務があります。私たち被爆者も「長崎を最後の被爆地に」をスローガンに核兵器廃絶を訴え続けてきました。それなのに、先に開かれたNPT(核不拡散条約)再検討会議準備委員会で「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に賛同署名をしませんでした、私たち長崎の被爆者は驚くというより、憤りを禁ずることができません。
 その一方で、世界を震撼させた東京電力福島第1原子力発電所の事故で、新たに多くの放射線被曝者がつくりだされ、平和的に利用されてきた原発が決して安全ではないことが改めて示されました。それにもかかわらず、事故の収束もみえないのに原発再稼働の動きがあるとともに、原発を他国に輸出しようとしています。
 ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマの教訓として「核と人類は共存できない」ことは明らかです。政府は誠実かつ積極的に、核兵器廃絶さらには原発廃止に向けて行動してください。

 築城さんの前に田上富久市長が読み上げた長崎平和宣言も、日本政府を厳しく批判するものでした。

 日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80カ国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界のだれにも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
 NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
 日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

 2人の話のあとは式典会場に大きな拍手が長い間、やみませんでした。その場には安倍晋三首相も ・・・続きを読む
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筆者

大久保真紀

大久保真紀(おおくぼ・まき) 朝日新聞編集委員(社会担当)

1963年生まれ。盛岡、静岡支局、東京本社社会部などを経て現職。著書に『買われる子どもたち』、『こどもの権利を買わないで――プンとミーチャのものがたり』、『明日がある――虐待を受けた子どもたち』、『ああ わが祖国よ――国を訴えた中国残留日本人孤児たち』、『中国残留日本人』など。

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