メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

「私は生き返りたい」――その後の大崎事件

大久保真紀 朝日新聞編集委員(社会担当)

 「私は生き返りたい。いまは死んだも同然。無罪になって生き返らせてほしい」

 これは、86歳の原口アヤ子さんが、福岡高裁宮崎支部の裁判官を前にして、心の底から吐き出した言葉です。

 原口さんは、1979年に鹿児島県大崎町で男性の変死体が見つかった「大崎事件」の主犯とされ、懲役10年の刑に服した人です。しかし、彼女は取り調べの段階から一貫して否認を貫き,現在、2度目の再審請求即時抗告審中です。冒頭の言葉は、その審理の中で7月11日に福岡高裁宮崎支部で行われた本人尋問で、とっさに口から出たものでした。準備した言葉ではない、「心の叫び」に、弁護団もびっくりしたといいます。

 というのは、2月のWEBRONZAで原口さんと大崎事件については詳しく書きましたが、原口さんは34年気丈に無実を訴え続けてきたものの、この1年ほどは心身の衰えには著しいものがあります。本人尋問でも、陳述書を用意し、それを読み上げる形にしましたが、陳述書を読みながら、途中で「あれ、どこまで読んだっけ」などと読んでいた場所がわからなくなることもあったそうです。そんな状態にもかかわらず、弁護士の質問に答える形で、冒頭の言葉を口にしたのです。

 「生き返りたい」という言葉は、弁護団もこれまで聞いたことのない表現で、自分の話に熱心に耳を傾ける裁判官の姿に、原口さんがわかってもらえるのではないかと、正直な思いを吐露したのだ、とみています。

 原口さんの最初の再審請求は、服役後の1995年4月になされています。それを受けた鹿児島地裁は2002年3月に再審開始を決定しました。しかし、鹿児島地検が即時抗告。04年12月に福岡高裁宮崎支部が再審開始決定を取り消します。原口さんは特別抗告しましたが、最高裁が06年1月に特別抗告を棄却します。

 2度目の再審請求がされるのは10年8月です。大崎事件には物証がありません。原口さんを有罪とした証拠は、共犯とされた原口さんの元夫、元夫の弟、その弟の息子らの3人の「自白」です。しかし、元夫は交通事故の後遺症で知的能力が低く、ほかの2人には知的障害がありました。一般的に知的障害のある人は誘導を受けやすく、自白を強要される傾向が強いことは広く知られています。しかも、原口さんの元夫は警察の厳しい取り調べで「自白」させられた、とその後、告白しているのです。

 元夫は病死、そのほかのふたりは自殺をしていて、すでにこの世にはいません。弁護団は第2次再審請求で、この3人の自白の信用性を否定する心理学者の鑑定書と精神科医の意見書を、新証拠として提出しました。また最高裁が認定した「タオルでの絞殺」という殺害方法が遺体の状況と矛盾するとした法医学者の鑑定書も出しました。

 しかし、鹿児島地裁は今年の3月6日に、再審請求を棄却しました。中牟田博章裁判長は「(共犯とされる)3人の自白の信用性を動揺させるような証拠価値は認められない。確定判決の認定を覆すに足りる証拠とは認められない」と指摘しました。

 弁護団は検察が持つ証拠リストの開示や鑑定書を書いた専門家らの証人尋問を求めていましたが、中牟田裁判長は「必要ない」と退け、「第1次再審請求で、確定審に提出されていなかった多くの証拠がすでに開示されている」としました。

 弁護団は、警察や検察が元々の裁判のときに隠していた証拠が再審段階で初めて明るみに出て、それが再審開始の決め手になるケースが増えていることを踏まえ、証拠開示を積極的に促すような訴訟指揮を裁判所に求めました。しかし、中牟田裁判長はそれには応じず、棄却という結果としました。ちなみに中牟田裁判長は、冤罪事件のひとつ氷見事件で有罪判決を出した裁判官でもあります。

 弁護団はこの鹿児島地裁の再審請求棄却に対して即時抗告をしました。福岡高裁宮崎支部での即時抗告審は、5月に始まりました。そして本人尋問が、7月に実施されたのです。しかも、この第2回の進行協議では、原田保孝裁判長が、弁護団が検察側に開示を求めている証拠について、速やかに任意で出すよう促しました。こうした流れのなかで、検察側は、共犯とされた3人のうちの2人の弁解録取書の写しと「関係人供述要旨抜粋」が存在することを明らかにし、さらに裁判所に「任意で提出するのか」と問われ、「出す」との返事をしました。

 福岡高裁宮崎支部は、この第2回進行協議の1週間後の7月18日、検察側に証拠リストの開示を勧告します。さらに、捜査段階の供述調書や本部長捜査指揮簿のほか、第1次再審請求で検察側が新たに集めた証拠をリスト化し、弁護側に開示することも求めました。

 証拠リストの開示を裁判所が求めたことを、弁護団は「極めて高い意義がある」と評価しました。証拠リストですから、証拠そのものではありません。ですが、これまではどんな証拠があるのかさえもわからない状態だったのです。手がかりさえ与えられていなかったのが、鹿児島地裁での再審請求でした。福岡高裁宮崎支部が異例の早さで、しかも踏み込んだ勧告を出したのは、世論の後押しがあり、同時に、原口さんの年齢を考慮した結果ではないか、と弁護団はみています。

 福岡高裁宮崎支部の積極的な訴訟指揮のもと、9月17日には福岡高検宮崎支部が、事件当時の捜査資料や第1次再審請求段階で検察側が集めた関係者の供述調書などの証拠114点を任意で開示しました。弁護団によると、開示された証拠は「検察が保管し、開示に弊害がないことを確認できたもの」として提出されたといいます。何が弊害なのでしょうか。弁護団も「弊害とは何を想定しているのか」と迫ったそうですが、検察側は「ここで議論するつもりはない」などと明確な回答を拒絶したとのことです。

 114点もの証拠が新たに開示されたというのはどういうことなのでしょうか。検察側は、 ・・・続きを読む
(残り:約522文字/本文:約2927文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
Journalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

大久保真紀

大久保真紀(おおくぼ・まき) 朝日新聞編集委員(社会担当)

1963年生まれ。盛岡、静岡支局、東京本社社会部などを経て現職。著書に『買われる子どもたち』、『こどもの権利を買わないで――プンとミーチャのものがたり』、『明日がある――虐待を受けた子どもたち』、『ああ わが祖国よ――国を訴えた中国残留日本人孤児たち』、『中国残留日本人』など。

大久保真紀の新着記事

もっと見る