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「明日、ママがいない」をきっかけに

大久保真紀 朝日新聞編集委員(社会担当)

 日本テレビの連続ドラマ「明日、ママがいない」が話題になっています。児童養護施設を舞台にしたもので、全国児童養護施設協議会(全養協)や「こうのとりのゆりかご」を運営する慈恵病院(熊本市)から抗議を受け、番組を提供するスポンサー8社がCMを中止しました。この流れを、私は複雑な思いで眺めています。

 私は児童養護施設に計80日間、子どもたちと生活しながら、取材をした経験があります。そのほかにも虐待を受けた子ども、あるいは虐待をしてしまった親、虐待対応をする児童相談所などの取材もしてきました。実情を知っている立場からいうと、三上博史さんが演じる施設長が「お前たちはペットショップの犬たちと同じだ」と言うことなど、ドラマの中身はフィクションであることは明らかです。朝日新聞にも、児童養護施設で育った人の同様のコメントが出ていました。

 ただ、匿名で赤ちゃんを預けることができる赤ちゃんポストに預けられた女優の芦田愛菜さん演じる女の子が「ポスト」という名を自ら名乗る設定になっています。これに対して慈恵病院が抗議しています。フィクションの中に、現在進行形の現実に基づくものを入れてしまったことによる反応だと思います。脚本家としては、注目された方がいいですし、現代性を取り入れたいと思ったのではないかと考えられますが、設定があまりにも現実に近いものになってしまったことによる、抗議のように私には思えます。荒唐無稽な設定、だれもが、あれはフィクション、という設定の方がよかったのではないでしょうか。

 私は慈恵病院も取材をしたことがあります。慈恵病院は、生まれてまもなく虐待死したり、捨てられたりして命を落とす赤ちゃんを救おうと、匿名で赤ちゃんを預けることができる「こうのとりのゆりかご」を病院に設置しています。まっすぐな使命感で、費用もすべて病院もちで、否定的な声も含めてさまざまな批判をもろともせずに、日本で唯一、「こうのとりのゆりかご」を運営しているのです。しかも、ただ赤ちゃんを預かるだけでなく、迷うお母さんや出産前の匿名の相談にも応じています。それによって、より多くの赤ちゃんの命が救われています。同病院はこの取り組みを「こうのとりのゆりかご」と命名、「赤ちゃんポスト」と呼ばないでほしい、と言っています。ですが、わかりやすさを求めるメディアでは「赤ちゃんポスト」と報じられることが多いのが実情です。

 慈恵病院は、生みの親が抱えるさまざまな事情を考慮して、親たちに対しても捨てたり、虐待死させたりせず、「こうのとりのゆりかご」に預けてくれてありがとう、という姿勢を貫いています。そういう意味で、芦田愛菜ちゃん演じる「ポスト」が「捨てられた」とされていることに、強い拒否感があるのではないでしょうか。もちろん現実には、「捨てるように」と第3者からは見えるように子どもを置いていく親もいるのでしょうが、それでも、彼や彼女らはトイレや川に置いていくのではなく、赤ちゃんの命を救おうと「ゆりかご」に届けてくれたのです。子どもたちにはその実親の思いを伝え、育てていこうとしています。それが、子どもの育ちには欠かせないと考えているからです。

 ですが、ドラマでは、実在する「赤ちゃんポスト」という言葉を使い、さらにわかりやすく、ドラマとしては当然でしょうが、親の事情は省いた「捨てられた」設定になっています。なので、現実の当事者がもしドラマを見て、自分も「ポスト」だから親に捨てられたと思い、心を痛めることになるでしょう。

 そのほかにも、親と離れて施設で暮らす子どもたちの中には、このドラマを見て傷つく子どもがいるかもしれません。実際に、自傷行為をした子どもがいると全養協が発表したかと思います。その視点でいえば、慈恵病院や全養協が抗議するのはもっともなことだと思います。当事者として、抗議すべきだと思います。

 ただ、私は、これらの抗議を受ける形で、スポンサーがすぐにすべて下りてしまったことに、逆の怖さを感じました。というのも、最近は、どこかで新聞記事やだれかの発言への批判が出ると、一斉にツイッターやネットなどで批判が広がり、一方向に向かってしまうということがしばしば起きているからです。しかし、その多くの批判が、たとえば批判の的となった新聞記事や発言のおおもとをきちんと知らずに、ツイッターやネットでほかの人が批判している部分だけを見て便乗して反応していることが多いのではないかと思われるからです。

 それぞれがきちんと前後関係も見た上で、批判はあるべきだと思います。雰囲気や印象での批判が横行しているのではないかと思うのです。今回もスポンサーを下りるというのはかなりの実力行使ですから、そこにどういう意図があったのか、知りたいところです。きちんとしたドラマの内容への批判が伝えられたのか、それとも「あんなドラマにCMを提供している」という評判を気にしてのことなのか・・・・。

 私は1回目、2回目を見ました。「ポスト」という呼び名や、施設で暮らす子どもたちがどう感じるのか、という問題はあるとは思いますが、一方で、どんなことをされようとも母親のことを忘れられない、母親のことが大好きな子どもの切ない思いや、「人形のようないい子」を愛する大人のあり方、子どもの気持ちなど全く考えない大人の身勝手さ、何事にも時間がかかる子どもを理解せず、判断や行動をせかす大人の姿勢、子どもたちが自分の生活を選べない社会的養護のあり方など、オーバーに描かれてはいますが、ドラマには現実社会の真理があちこちにちりばめられているように思います。たとえば、自分に翻って考えても、そうあるべきではないということは頭ではわかっていても、ほかの大人同様、自分の言うことをきく「いい子」をかわいく感じてしまう傾向があるというのは、否定できない事実です。そういう、大人の、だれの心にもチクチクくる「真実」のかけらがドラマには描かれているように感じました。

 その描かれ方を見ると、このドラマは、ただセンセーショナルに話題性だけを追い求めているものではない ・・・続きを読む
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筆者

大久保真紀

大久保真紀(おおくぼ・まき) 朝日新聞編集委員(社会担当)

1963年生まれ。盛岡、静岡支局、東京本社社会部などを経て現職。著書に『買われる子どもたち』、『こどもの権利を買わないで――プンとミーチャのものがたり』、『明日がある――虐待を受けた子どもたち』、『ああ わが祖国よ――国を訴えた中国残留日本人孤児たち』、『中国残留日本人』など。

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