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《シリーズ》ウェブとジャーナリズム 早大Jスクール 田中幹人准教授インタビュー(2)

聞き手:矢田義一WEBRONZA編集長

Q. ネット時代になってマスメディアではないオルタナティブメディアによるジャーナリズムも注目を集めるようになりました。

田中 当たり前の話ですが、ジャーナリズムとは、ある種の「無限退行」の行為でもあります。

田中幹人氏田中幹人氏

 例えばマスメディアに対して、より「市民視点」によって行われるオルタナティブ(対抗的)ジャーナリズムについて考えてみましょう。オルタナティブジャーナリズムは、理念的にはかなり前からありますが、インターネットの発達によって本格的な実効力を持ったと言えます。

 その存在は社会的に重要ですが、一方で、どんどんより狭い特化した分野に後退していくのが、その宿命でもあります。マスメディアが報じない弱者の声をオルタナティブに報じ、それが世論を喚起し、その議題がマスメディアでもクローズアップされ、「社会の主要な議題」になったとします。

 すると、オルタナティブなジャーナリズムは、当初の目的は達したはずですが、今度はより少数派の声を拡大することに注力することになります。これを繰り返していくと、究極的にはオルタナティブジャーナリズムが主張する「ごく少数派の声」は、社会の多数派にとっては「理不尽な自己主張」に見えるものになっていく。

 こうなると「最大多数の最大幸福」を希求する立場の人にとっては、「そんな特殊な例まで社会は拾い上げるべきか」という違和感を惹起するものになっていかざるを得ないという性質があるのです。

 しかし、民主主義社会では「それでも拾い上げるべきだ」という意見も本当はあっていいはずです。そのバランスの問題なのです。また、そこには確かに、現状の多数派の意見には飽き足らない、あるいは救われない支持者がいるのです。そういう観点から、「イデオロギーのニッチ」とでもいうべきところにビジネスチャンスを見いだし、持続可能なジャーナリズムを築きうる余地を見いだす、というのも世界の一つの潮流です。

 こうした変化は、ある意味では昔からある市民ジャーナリズムやオルタナティブジャーナリズムの潮流に属するものですが、また新たな側面も持っています。こうしたニッチのジャーナリズムは、これまではあまり注目されていなかったり、社会的に分断されていて見えなかったりした声を取り上げて、増福するジャーナリズムです。少数派の人々が「私たちのような、埋もれていた声を取り上げてくれるのだ」というようなイデオロギー分野に注目する。そんなメディア活動が世界で行われているメディアビジネスのサステナブル(持続可能)なパターンです。

 例えば、シングルマザーのためのメディアを考えてみましょう。そういう人たちにとって、マスメディアではほとんど見えてこないが、問題の当事者にとってははっきりと意味のある情報やニュースを、マスではなくシングルマザーという少数者の視点から取り上げる。こうしたメディアに対し、シングルマザーが「クリックを提供する」ようになることは自然です。

 あるいは最近では、脱原発の視点を強く打ち出すメディアなども活発です。そして、違和感を覚えるかもしれませんが、私はナショナリズムやレイシズムを喚起するメディアもそのひとつだと考えています。ナショナリズムを刺激すること自体を目的化したメディアというのは、かつてはかなりのニッチ市場でした。しかし、現代的なオルタナティブ性を持って、最も成功しているのはこうしたメディアでしょう。「マスゴミは報じない『真実』を伝えてくれるメディアだ」というわけで、そこには「クリック」つまり支持が、そして資金が集まるのです。

Q. ネットでのナショナリズムの盛り上がりは続いています。

田中 ええ、ただナショナリズムの盛り上がりを単に「ネットの」自家触媒的なものと見る視点には違和感を覚えます。ウェブやSNSなどの議論をみていると、活発な議論も多くの場合、マスメディアからの影響を受けています。マスメディアが提示する情報に、いい意味でも、悪い意味でも、煽られているわけです。どの意見の立場にたつかという差があるだけで、そこで展開されているものが「民意」だとは簡単には言えないはずですが、

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