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大相撲連日満員御礼もまた日本人の映し鏡

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

 大相撲夏場所が25日に打ち上げた。両国国技館は連日満員御礼の連発(15日中10日)で20年前の若貴ブーム以来の人気復活となった。新横綱を加えた3横綱(白鵬、日馬富士、鶴竜)の優勝争い、昇進基準を満たさないだけで事実上「準横綱」「準大関」の成績を残す上位陣(稀勢の里、豪栄道、栃煌山)の力量、上位常連のベテラン曲者力士(安美錦、豊ノ島など)のかき回し、玄人目線では父親(元小結)そのままのシルエットで新入幕してきた佐田の海の技能、そして過剰な人気者になってしまった遠藤の捲土重来、先行・急追する若手ライバルたち(千代鳳、大砂嵐、照ノ富士など)の急上昇、と話題豊富で始まった。そして15日間を終えて、きわめて順調・順当に、勝つべき者が勝ち、失速すべき者が失速し、久々に場所(興業)全体がハッピーエンドであったと総括していい。

 つい最近までの大相撲へのバッシングなど嘘のようだ。野球賭博にかかる暴力団との接点、ケータイメールによる八百長相撲の発覚に加え、日本相撲協会外との親方株のトラブル(例えば、結果として稀勢の里の所属部屋名が「鳴戸」から変更)など、公益財団法人への移行時期にたまたま300年来の問題が表出してしまった。協会の公式声明としてはすべて解決済みなのだが、繰り返し筆者が指摘してきたように、根本的な問題は大相撲側もさることながら、それらを日本人自身の短所の映し鏡だと受け止めずに報道機関に振り回される日本人全体の浅はかな雰囲気、日本が培ってきてしまった文化の清濁に対する理解のなさ、にある。300年来の人気商売である相撲興業は、清濁かかわらず「世間に過剰順応する」という伝統を守ってきたに過ぎない。

 大相撲が改革したから国技館に出かけたり、許したから遠藤のお姫様抱っこ写真に群がったり、協会の進捗報告を読んで懸賞広告が増加したりはしない。公益財団法人になっても「部屋」運営は師匠(部屋持ち親方)の個人事業だ。物言い(白鵬)・反則勝ち(鶴竜)・反則負け(日馬富士)で少々話題になったちょんまげが現代に残ったのは、明治維新の英雄たち複数の個人的趣味にすぎない。100年前の映像の中の横綱が、現代でいう美しい土俵入りをしているわけではない。すべては日本人の雰囲気の問題だ。

そんな事件すらみな忘れてしまった矢先の場所中に、そのどん底からの改革を担い、協会内の猛反対を受けながら緊急の理事長職を務め上げた「クリーン魁傑」が急逝した。何の賞賛もない重責から定年退職で解放された先代放駒親方(西森輝門氏)の寿命は、あの改革の2年弱で一気に縮まってしまったのだろう。ご本人は無念だろうが、今場所のハッピーエンドの予感を垣間見たこと、もって瞑すべし、合掌、と申し上げるしかない。

 思えば大相撲はプロスポーツ観戦としては異常なほど、観戦者志向の時間にセットされてはいない。平日のオフィスアワーをおして、スポーツ観戦としては破格に高いチケットを購入して来場する1万人からの観客は、もはや企業の交際費枠もほぼ絶滅した中、本当に見たくて来ている観客というべきだろう。ニュースショーの報道に一喜一憂しているわけではない。実際に観戦してなお、あの数回にわたる仕切り直しをテレビ同様に退屈だと見る人はきわめて少ない。浮かれた人気だとしても、それをきっかけに大相撲観戦を体験して、その背景にある激しい稽古や厳しい規律やドサ回りの巡業生活や清濁あわせた後援者(タニマチ)の世界や、それらよしあしすべて含めた日本文化の誇りを、子供や若い女性たちが考えるきっかけになるようなら、それはとてもよいことだと思う。

 スポーツの結果として夏場所を総括しておく。白鵬の体力的な衰えは

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