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「美味しんぼ事件」に見る「STM(科学・技術・商品)言説」の抑圧性

樫村愛子 愛知大学教授(社会学)

 「美味しんぼ問題が隠蔽した、より深刻な問題」(ビデオニュース)が指摘するように、菅義偉官房長官ら政府の「被ばくと鼻血には因果関係がないと専門家の評価で明らか」とした否定見解は、福島県民らの不安への真摯な対応にはなっていないだろう。神保哲生・藍原寛子両氏は、これらの政府の行動は結局、健康・被ばく予防、避難者支援など後手に回っている政策の充実がないところで、福島の人々が抱いている政策の遅れに対する不安や不満、そして個人個人の身体障害の自覚症状を、「美味しんぼ」の「風評被害」「デマ」へとすり替え、不満のガス抜きになっていると批判している。

 「福島子ども健康プロジェクト」が「避難区域外」である福島県中通り9市町村で実施した、2013年「福島原発事故後の親子の生活と健康調査に関する調査」の自由記述欄には45.8%の記入があり、最も多いキーワードは「不安」であった(大別すると次の5つ。1.「子どもの健康状態」、2.「いじめや差別に対する不安(福島県出身に対する)」、3.「不安心理やそれによるストレス」、4.「どの情報が正しいのかわからない不安」、5「経済的な出費や負担を伴うことによる不安」)。

 現実に起こっていることや未来の不確かさを無視して、科学を振りかざし絶対化する行為は疑似科学的でしかないのは、ポパーのいうように、そもそも科学は常に現時点での部分的事実しか語れないものであり(絶対的なものではない)、未来についての不確かさや「検証可能性」に開かれたものであるゆえである。

 そして被曝問題についていえば、ICRPでの内部被曝問題の排除(入市被曝の被害の排除に見られるような、広島での内部被曝の排除)、すなわちアメリカによる核兵器の保守という政治的条件による科学的データの排除という問題により、すでにその科学性への疑念が指摘されている。

 また、ベックのいうように、リスク原則を考えれば、専門家によって政治が決定されるべきではなく、市民が決定すべきであり、健康問題については、疫学調査を20年待っていては遅く、予防原則が取られるべきである。

 政府の行動のみならず多くのメディアや論壇でも語られる「被ばくと鼻血には科学的な因果関係がない」とする断言とそれによる事態の切り捨ては、現実に起こっている、まだ不確かな現象を「科学」の名の下で切り捨て、子どものケアに携わる主婦(アンペイドワークを指名されている者)を病理化する構図の、原発事故直後からのくり返しにも見える。

 矢部史郎氏はさらに「主婦や市民の自主防護活動が揶揄や嘲笑にさらされるのは、その活動に正当な評価を与えないことで、タダノリを正当化するためだ」としてそのケア労働の搾取を告発している。「リスクが少ない」と宣言するICRPの専門家は、主婦のように、家族に何かがあったとき一切を引き受け自責の念を抱きつつ無償で働くことを強いられる者ではない。再生産に携わる者は、この意味で子どもの一生を引き受け、時間の射程が長い。

 フランスの情報科学の研究者で精神分析家でもあるドミニク=ジャック・ロスは、ネオリベ社会の中で、 ・・・続きを読む
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筆者

樫村愛子

樫村愛子(かしむら・あいこ) 愛知大学教授(社会学)

愛知大学文学部社会学コース教授。1958年、京都生まれ。東大大学院人文社会系研究科単位取得退学。2008年から現職。専門はラカン派精神分析理論による現代社会分析・文化分析(社会学/精神分析)。著書に『臨床社会学ならこう考える』『ネオリベラリズムの精神分析』、共著に『リスク化する日本社会』『現代人の社会学・入門』『歴史としての3・11』『ネオリベ現代生活批判序説』(新評論)など。

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