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3年たっても変わらない放射能をめぐる二分された風景

武田徹 評論家

 相変わらずだなと思った――。やや旧聞となったが先日、世間を騒がせた、いわゆる「美味しんぼ騒動」についての感想である。

 詳細は省くが、週刊漫画誌『ビッグコミックスピリッツ』連載の「美味しんぼ」の中に福島を取材で訪れた登場人物が鼻血を流すシーンが登場し、放射線で汚染された「福島には人が住めない」という指摘がなされていた。

 こうした内容に対して「科学的常識」を踏まえた反論がなされる。福島で医療に当たる医師や科学者が原発事故後の放射線量は外部被曝、内部被曝のいずれも急性障害を発生させるには遠く及ばず、被曝が原因となって鼻血が出ることはありえないと述べた。地元の行政や国も漫画が福島への風評被害を及ぼしかねないと厳しく抗議した。

 これに対して「よく描いてくれた」と喝采する声もあった。二分された立場の間で対話は成り立たず平行線を辿る――。事故発生より3年間が経って事態は変わらない。

 

なぜ対話が成立しないのか

 こうした『美味しんぼ』騒動とタイミングを合わせたわけではなかったが、ちょうど同じ時期に筆者は新著『暴力的風景論』(新潮社)を刊行している。そこでは議論がかみ合わない原因について従来よりも一歩踏み込んで仮説を提示してみた。見ている「風景」の違いにそれが起因するのではないかと考えてみたのだ。

 たとえば風景明媚な観光地の見晴らし台から風景を眺める。観光客は同様に感動しているように振る舞っているが、実は皆が同じ風景を見ている保証はない。それまでの経験や生まれ育った文化によって同じ景色に直面していても、それをどのように見るか、どのように感動するかは異なっているはずだ。

 同じように原発事故後の「風景」も、見る人によって違っているのではないか。特に福島の人は原発事故後、多くの人は急性障害を引き起こす線量がどの程度かといった放射線被曝の基礎知識は十分に学んで来たのだと思う。その意味で騒動後に医師や科学者が述べた反論内容は十分に承知していたことだったはずだ。しかし、それでもなお払拭されない不安が残っている。そこに問題がある。

 放射線の障害には急性症状以外に放射線が遺伝子に傷をつけた結果、時間をかけて癌などを発生させる晩発性障害がある。これについても広島、長崎の被爆者12万人を60年間にわたって追跡調査した結果、100ミリシーベルト以下の被曝量では線量の増加と晩発性障害発生との因果関係が統計学的に認められなかった。そこで100シーベルトを「しきい値」としてそれ以下では障害は発生しないと考える立場――いわゆる「しきい値仮説」――が唱えられたこともあったが、ICRP(国際放射線防護委員会)は2007年に100ミリシーベルト以下の低線量被曝においても線量に応じて遺伝子の損傷があると考える立場――しきい値無し直線仮説=Linear Non-Threshold仮説)を採用するようになっている。

 ただ、こうした低線量被曝の影響はたとえあったとしても、喫煙や肥満など他の健康リスクの中に埋もれてしまい疫学的にも実験的にも検出できない。その程度のものである以上、低線量被曝は現実的には無視できると考える立場がありえる。しかし一方で、そうは考えない、あるいは考えられない人もいる。いかに低線量でも遺伝子の損傷はありえ、

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