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トレイルランが生き残る道を考える

辰濃哲郎 ノンフィクション作家

 トレイルランというスポーツをご存知だろうか。

 ハイキング経験者なら、山を軽装備で駆け抜けるランナーの姿を見かけたことがあるだろう。ここ数年のランブームが講じて、どこの山でも見られるようになった。1000人を超える大会も開催されている、いま流行のスポーツだ。

 なぜ、山を走るのか。的確に答えられる人がいたらお目にかかりたい。私の場合、極限にまで自分を追い込むのぼりと、稜線で風を体いっぱいに受けて走るときの飛ぶような爽快感、そして何よりのぼり切った後に必ず訪れるくだりがたまらない。落ち葉の積もったトレイルをリズムに乗って駆け下りるとき、自然と一体化した錯覚に陥る。走り切ることができるかという不安に、危険と隣り合わせの緊張感。そして、それらが「生きている」という実感とともに、走り終わったときの達成感で心を満たしてくれる。ロードを走るのと違って、タイムは気にならない。同じ20キロメートルでも、起伏が激しいのと緩やかなコースでは比較する意味がなくなるし、気象条件にも左右されるからだ。競うべき相手はタイムでも他のランナーでもなく、自分自身であることがトレイルランの醍醐味だと、私は思う。

 だが、このトレイルランのあり方が問われている。ハイカーとの共存問題だ。ハイカーの立場になって考えればよくわかる。自然を愛し、仲間と言葉を交わしながら、のんびりと歩くすぐ脇を、息せき切ったランナーが追い抜いていったらどうだろう。危ないというだけではなく、自然を楽しむ気持ちも半減してしまいかねない。挨拶さえできないランナーは論外だが、高山植物などの自然植生を踏み荒らしていくランナーには、トレイルランの愛好家である私でも怒りを覚える。マスコミ報道のなかには、「本当かなぁ」と疑うようなものもあるが、風当たりは間違いなく強くなっている。

 このままでは、トレイルランは山から締め出されかねない。

 私は山に入ったとき、「10mルール」という鉄則を自分に課している。山道ではハイカーの姿を見たら、必ず10m手前で立ち止まる。すれ違うときは、どちらが優先の上りでもランナー側が立ち止まって道を譲る。追い抜くときも10m手前で走るのを止め、挨拶をしながら追い抜いてから走り始める。この際、ひとりでも多くのハイカーと言葉を交わすことを心掛けている。「どちらまで?」と聞くだけで、話は弾んでくるものだ。歩きながらずっと話し込むこともあるし、話しかけた少年たちと一緒に何キロも行動を共にすることもある。

 実はこのルール、私が敬愛する仙台のトレイルランナーの教えなのだが、実践するのはなかなか大変だ。そのコツをつかむのに、1年くらいかかった。この「10mルール」からすれば、年間260万人ものハイカーが訪れる高尾山などは、ほとんど走ることができないし、走るべきではないと思う。走りたいのであれば、人が少ない早朝とか、山頂を越えてから走ればいい。なにより心に余裕を持てないトレイルランは、自分自身に跳ね返ってくる。

 そもそもトレイルランはハイキングの延長ではないかと、私は思っている。走ることによって遠くまで行けるし、行動範囲が広がる。でもあくまでハイキングなのだから、仲間同士がお互いの体力を思い遣りながら進むのが基本だ。であれば、ハイカーと同じルールで走るべきではないだろうか。そうは言っても、 ・・・続きを読む
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筆者

辰濃哲郎

辰濃哲郎(たつの・てつろう) ノンフィクション作家

ノンフィクション作家。1957年生まれ。慶応大卒業後、朝日新聞社会部記者として事件や医療問題を手掛けた。2004年に退社。日本医師会の内幕を描いた『歪んだ権威』や、東日本大震災の被災地で計2か月取材した『「脇役」たちがつないだ震災医療』を出版。

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