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2020年東京オリンピックを控えた「東京論」

これから5年間で繁華街やアウトローはどう変わるのか

久田将義 TABLO編集長

 石原慎太郎氏が東京都知事に就任した1999年。都庁のおひざ元、東洋一の歓楽街と言われていた歌舞伎町に対する浄化作戦が始まった。具体的には竹花豊広島県警本部長(当時)を副知事に抜擢し陣頭指揮を執らせ、数百メートル四方の歌舞伎町に50台以上の監視カメラを取りつけた。

ビニ本、ファッションヘルスなどの看板が並んでいた歌舞伎町=1992年、東京都新宿区ビニ本、ファッションヘルスなどの看板が並んでいた歌舞伎町=1992年、東京都新宿区

 また、一説には2000人、20団体の暴力団がいるというこの街を暴力団対策法と暴力団排除条例で徹底的に取り締まった。

 それ以前の歌舞伎町は東南アジアは元より東欧、南米の女性が多数来日しており、外国人専用のクラブも存在していた。それはそれで、当時を思い起こせば、歩きにくく怖いというイメージもあった。通称「立ちんぼ」と呼ばれる娼婦が歌舞伎町から大久保にかけて立っており、闇深き街という印象を持っている人も多かった事だろう。更に、月に何回かは暴力団の地回りと呼ばれる「パトロール」が行われており、彼らが街に姿を現して練り歩くと、キャッチ等は姿を消してしまっていたものである。

 その様子は確かに怖いのだが、怖いものは怖いものとして認識すればいいだけの話で、要するに近づかなればいいのだが、現在は少し様相が違う。

 暴力団を排除した代わりに、半グレ(準暴力団)と言われる人種が台頭してきた。彼ら

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