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[5]羽生結弦、人気スポーツの象徴として

オリンピックで勝つ以上に大変なこと

青嶋ひろの フリーライター

 また、フリーのこの日。会場で彼を見守っていたあるベテラン選手の言葉も、とても印象的だった。

 「結弦君のフリー……あ、いいものを見せてもらった、と思いました。サルコウとトウループはほんとに素敵だったし、滑りも以前とは違って、男っぽく、芯が出てきたかな。アクシデントを乗り越えたとか、そういうことは関係なく、『きれいだなあ。すてきすてき!』と思えたんです」

 ファイナル進出6回を誇る、ロシアのペア代表、川口悠子の言葉だ。

 確かに、今日の彼の演技を見るとき、特に日本人の私たちが、これまでの様々な出来事を追いかけてきた目で見るとき、アクシデントを乗り越えて、よくやった、凄い! とまず思ってしまう。

 しかし世界には、今季の彼の道のりをまったく知らず、いきなりこの「オペラ座」を初めて見る人だって、たくさんいるだろう。偶然テレビのチャンネルを合わせただけ、偶然チケットを手に入れ、何の知識もなく会場に来ただけ、の人が。彼のストーリーなど関係なく、どんな人々の目が見ても「いいもの」だったのではないか、と川口悠子は言うのだ。

 ああ、そうか、と思う。本来ならば、フィギュアスケートが何パーセントかでも芸術であるのならば、そんなふうに何のまじりっけもない目で、前情報のない目で、プログラムは見られるべきなのだ。

 それが本来の見方であるべきなのだ。そしてそんなふうに見たとしても、羽生結弦のこの日の「オペラ座」は、いい演技だったのだな、と。

 さらに川口悠子は、面白そうに笑って言った。

 「選手から見ればね、アクシデントみたいなものは、あった方が逆に力になるんですよ。家族が亡くなったとか、ケガをしたとか、そんなことがあった方が、逆に次の段階に進みやすい。私の場合は、そうでしたね。そしてそんな出来事をプラスにできる人が、たぶんアスリートなんだと思うんです。結弦君も、きっとそうだったんじゃないかな」

 だから選手として、今シーズン大変だった彼を、川口悠子は同情しない。そして同じ選手として、様々なことがよく見えたうえで、それでも「いいものを見せてもらった」と。

 スケートが何よりも大好きだという彼女は、心から羽生結弦に拍手を送ってくれた。

金メダルを首から下げて帰国した羽生結弦選手。大勢のファンらが出迎えた=16日午後1時21分、成田空港.GPファイナルで優勝、成田空港で多くのファンに迎えられた=2014年12月16日
 衝撃的なアクシデント。その後の苦闘。そして、鮮やかな復活。

 たった数ヶ月、たった3試合で、羽生結弦はこのスポーツの様々な側面をいくつもいくつも見せてくれた。

 羽生結弦を通してたくさんの人たちが、このスポーツのことを様々な角度から考えた。

 同時にシーズン前半、日本のフィギュアスケート界は彼にかかわらず様々な話題が続き、若い選手たちの活躍も続いた。

 浅田真央、安藤美姫、高橋大輔らがいない今シーズン。

 フィギュアスケートは物珍しいスポーツ、一過性のブームの中にあるスポーツから、日本人にとってごく親しい人気スポーツへと変わりつつあるのかな、とも思う。

 そんなフィギュアスケートの、現在の象徴として。やはり羽生結弦は、ふさわしい人物なのだろう。

 まだ20歳――10年後、この青年はいったい何をしているのだろうか、と、ふと考えた。

 そして今、大きな渦中にあって、羽生結弦はほんとうは、何を考えているのか、と。

 ほんとうはこういう時こそ、彼の話をちゃんと時間をかけて聞きたいし、聞いておくべき時なのだ。しかし、それができないのがまた、オリンピックチャンピオンだ。

 とにかく今は、思う存分、彼の心の欲するまま、戦いたいままに戦ってほしいと思う。

 今の彼は、それがとても難しい状況だ。忙しくて、どこに行っても追いかけ回され、いつでもまわりの警戒は厳重で、以前のように私たちとゆっくり話すこともできない。

 ただ無心に上を目指していただけのころとは、いろいろなことが違う。

 少しずつだけれど、下から若い選手たちも力を伸ばしてきた。

 特に、

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