「いま、とても幸せなんだから、これでいいんです」
2015年04月14日
川口悠子はパートナーのアレクサンドル・スミルノフに何か言いたいことがある時、一緒にお酒を飲むのだという。
「ロシア人は、お酒が大好きだから(笑)。私たちの間に立ちはだかる、ものすごく厚い壁……お酒はその壁を崩すための手段です。お酒の助けを借りれば、深刻になり過ぎず、本音で前向きに話し合うことができる。お互いの理解を深めるには、ベストな方法なんです。でもそんな機会は、年に一度あるかないか、かな……」
日本語が通じるか、プライベートでも一緒にいるような相手だったら、ここまで苦労はしなかったかも、と笑う。彼女はロシア語、英語とも何不自由なく話す。しかし日本人と日本語で話すときほど腹を割った会話は、なかなかできなかった、と。
「文化の違い、言葉のバリア、ペア競技特有の人間関係……理解出来ないことはたくさん。でも、ペアを組み始めたころはまったく気になりませんでした。コーチに言われたことを、ただひたすらこなすだけで精一杯。そこにふたりの会話は必要なかったから。
だから、何年経っても相手のことをよく知らなかった、そのことがわかった時はショックでした。サーシャ(アレクサンドルの愛称)は『日本人にはボディータッチ禁止!』と思いながら、毎日一緒に滑っていたんですよ! お互い、『日本人だから』『ロシア人だから』いろいろなことが違ってもしょうがないって、諦めてしまっていたのかも……。
でも逆に、お互いを探る期間が長かったからこそ、今まで続けられたのかな、って思うこともあります」
私生活までいつも一緒の関係もあれば、川口&スミルノフ組のように「お仕事パートナー」と言い切るペアもいる。それでも彼らは、2006年から組んで、もう9年。この長い年月で、いったいどのくらいの数のペアが、組んでは別れていったことか。
「9年間……あっという間でしたね。お互い、大きなケガもありました。私が指と肩の手術。サーシャは2度、膝の手術をして」
バンクーバー五輪後の2010年春、川口悠子は脱臼癖のついた肩の手術を経験する。もしその時点で引退するならば、受けなくてもよい手術だった。
しかし14年のソチ五輪まで滑り続けるならば、手術は必須。ここで彼女は、2度目のオリンピックに挑戦することを決めたという。
だが13年10月。ソチ五輪を目前にして、今度はスミルノフが右膝の靭帯を断裂。シーズンを前にして、ソチ五輪出場は絶望的となった。バンクーバーでは、4位。そこから円熟味を増していたふたりは、2度目のソチ、地元開催の大会でもちろんメダル獲得を嘱望されていたのに。
「ソチで選手生活は、最後にするつもりでした。だから最初は、『なんで?』と。私は健康なのに、一人では何もできない。やりきれない気持ちでいっぱいで……。
でも私だけでなく、サーシャもタマラ(コーチのタマラ・モスコビナ)も、3人がそれぞれの立場で嵐の中の船に乗っていた。3人が、バラバラになってしまった時期もありました……」
ペアのソルトレイクシティ五輪金メダリスト、エレナ・ベレズナヤ&アントン・シハルリドゼ組に憧れ、彼らのコーチであるタマラ・モスコビナの門を叩いたのだ。ロシアの、というよりソ連時代から綿々と続く、ロシアのペアスケーティングを習いたい、と。
最初に組んだパートナー、ロシア人のアレクサンドル・マルクンツォフとは、日本代表として世界選手権にも出場。2004年からは2番目のパートナーであるアメリカ人、デブン・パトリックと組み、アメリカ代表をめざし全米選手権にも出場している。
そして最後のパートナーは、アレクサンドル・スミルノフ。彼とともにロシア代表として私たちの前に現れたのは、2007年の東京・世界選手権だった。
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