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乱暴な少年法・成人年齢議論と改憲論

河合幹雄 桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)

 自民党は、4月14日、成人年齢と少年法の適用年齢を引き下げる方向で、特命委員会を開催した。他稿では、私の専門である少年法と凶悪犯罪を中心に論じてきたが、今回は、よりマクロな視野で、改憲論まで含めた事の総体を把握することから問題点を指摘したい。

 まず、少年法と少年事件への誤解について極めて簡潔にまとめておきたい。少年による凶悪事件は極めて少なく、凶悪事件の数パーセントにも満たない。また、少年犯罪は、ここ10年ぐらい急減状態にある。大きく報道され、今回の動きのきっかけになった、犯人が少年3人であった川崎市で起きた中学生殺害事件は、なぜ騒がれたのか理解できないレベルの事件にすぎない。

罰ゲームで飲酒後に高3の少年3人に暴行された専門学校生の遺体が発見された付近=2015年4月11日、横浜市鶴見区罰ゲームで飲酒後に高3の少年3人に暴行された専門学校生の遺体が発見された付近=2015年4月11日、横浜市鶴見区
 少年法への誤解は酷い。18歳か19歳の少年が有罪となった場合、重大犯罪でない場合でも少年として特別丁寧に扱われる結果、少年院に収容され実刑となる。これを成人扱いすれば、実刑にならずにそのほとんど、現在少年院に収容されている1200人のうち1000人は釈放となるであろう。

 なお重大犯罪の場合は、現行でも原則検察官に逆送され、成人同様の刑事裁判により少年刑務所で懲役刑となる。なんの改正の必要性があるのであろうか。また少年院での教育は厳しく、少年たちはビシッと律せられている。一般に参観が許されていないので知られていないのは仕方ないが、少年院に行く手前の少年鑑別所でさえ、現地を見学した者の共通の感想は、名前は違うが建物など雰囲気は全くの刑務所である。授業中の私語などありえないという世界である。

 少年犯罪と少年法を少し調べれば、少年法の適用年齢下げという結論はでてくるはずもないとすれば、この発想の出所はどこなのか。そこを見れば病巣が発見できるはずである。

 発想の出所は二つ考えられる。第一は、最近の若者たちが大人になるのが遅くなっているという印象を前提に、早く大人になるように促そうという発想である。私も、大学生、つまり18歳から25歳ぐらいまでを相手にしている経験から、この発想には賛成である。選挙権はじめ、多くの成人への区切りを18歳の4月1日にすべきというのが持論である。大人になるとは社会的なことであり、個人の満年齢で決めることではないと考える。通過儀礼として高校卒業は、非常に良い区切りだと考えている。飲酒なども含め、かなり統一して、その時点から大人扱いするというルールを明確化することを提案したい。

 他方、非行少年はスタンダードではない発達が遅れた子供たちである。犯罪状況をみれば、ますます幼さを示す犯行をしてしまっている現状からは、むしろ21歳でも少年院にいれて再教育したいぐらいというのが現場の感覚である。したがって、非行少年の実態を良く知らない人々が、元々は賛成できる発想から出発したが、少年犯罪や少年法の勉強をしないで、少年法の適用年齢下げを提唱してしまっていると推察できる。

 第二は、憲法改正を狙う人々の意図と関連する解釈である。これはやや複雑である。憲法改正を目指す人々が、改憲に賛同が多い若者に期待して選挙権の引き下げを画策するなかで、少年法に対する不満を利用しようとしているというような単純な陰謀論は、無理である。だが、選挙権を18歳に下げようとする改憲論者と、少年法の適用年齢引き下げ賛成の者は、自民党の代議士からみれば重なっており、偶然の一致ではない。支持者ということに注目すれば、世代の差が興味深い。

 本年の3月に私たちが、犯罪に対する知識や意見をアンケート調査してみた結果、若年層は犯罪状況の悪化を信じていないで高齢者ほど信じていることがわかった。改憲については、高齢者の内、戦争体験者の層は異なると思われるが、それはともかく、高齢者層の犯罪状況に対する勘違いが顕著である。

 イギリスなどでも、高齢者が若者のマナー違反に怒っており、厳しい態度で臨むべきという動きが取られている。アズボASBO(Anti-Social-Behavior-Order)と呼ばれる政策で、犯罪とは言えないレベルの反社会的行為に対して民事的な手続きによって停止を命令し、それを破れば刑事手続を使うというもので、90年代後半に立法されている。落書きの放置、ゴミが捨てられたまま、大声で騒ぐなどのマナー違反や迷惑行為が、人々、とりわけ高齢者に犯罪不安を掻き立てていると分析されている。どうも、高齢者にとって現在の社会状況は、悪化していると感じられるようで、「失われた美徳を取り戻す」というキャッチフレーズに弱い。

 しかし、第三者的に見れば、これは、自分自身の生きにくさの苛立ちを、他者に対する不寛容として

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