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安保法制論に欠ける「自衛」の危うさへの視点

核の国際管理構想に見える集団的自衛体制の理想のかたち

武田徹 評論家

 二度の原爆記念式典と終戦記念日を迎える8月には毎年、戦争関係の放送番組や特集記事が集中する。そんな「8月ジャーナリズム」は、今年はまた格別のものとなった。戦後70年の節目であるし、折しも集団的自衛権を認めるいわゆる「安保法制」が国会審議中でもある。衆参両院ともに安定多数で国会運営を進める第2次安倍内閣だが、6月の衆院憲法審査会で与党推薦を含む参考人全員が安保法制を「憲法違反」と判断。以来、国民世論の反発も強まっており、「戦争」と「平和」を論じる動きは例年以上に活発となっている。

  こうした状況の中で筆者が提案したいのは歴史に尋ねる姿勢である。特に第2次大戦後の世界秩序を形成した「核」の歴史を改めて参照してみることで、新しい視角が開けないかと思っている。

「自衛」という概念を巡って

  集団的自衛権を認めるか否かが問われる安保法制論議において、個人的にはナイーブに過ぎることは十分に承知の上で、森達也の書籍の表題にもある『すべての戦争は自衛意識から始まる』という認識を大事にしたい、と考える。

  ハンセン病隔離医療や「満州国」をテーマとして調べ、書いてきた経験がある筆者は、「自分を守る」「自分の家族を守る」「自分の国を守る」という自衛が他者への暴力にエスカレートして来た近代日本の悲惨な歴史を繰り返し見てきた。

  自衛という発想自体が暴力の源泉――。日本在住のアメリカ人政治学者ダグラス・ラミスもそう考える。彼の『ラディカルな日本国憲法』には、自衛こそが暴力の源泉になることを認めて日本の戦後憲法は自衛権の放棄までを謳ったのであり、それはどこの国の規範にもある交戦権の放棄ではない。正当防衛をも含む全ての自衛権を潔く放棄し、外交問題の解決を国際的な協調関係にのみ委ねたのだ、と指摘している。

  確かに日本国憲法草案には、そうした理想主義が濃厚であった。しかし、戦後史がそうした理念に「修正」を加えてきたことも事実だ。たとえば、憲法制定過程において既に9条2項の冒頭に「前項の目的を達するため」を加える、いわゆる「芦田修正」がなされている。この追加により、9条が放棄しているのは「国際紛争を解決する手段」としての戦争や武力行使であり、紛争解決の手段ではない自衛目的であれば、戦力を保持することは可能であるという解釈の余地が生じた。

 そうして表現の変更によって作られた「のりしろ」部分を埋めるかたちで自衛隊が作られ、それを合憲とする解釈の修正もされてきた。つまり「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とする憲法13条を9条の例外規定とみなす。そして自衛のための必要最小限度の実力行使は国民の「生命、自由及び幸福」を確保する活動であり、防衛「行政」として許容されるとする解釈が導かれ、これまでの政府の見解となってきた。

 こうした積み上げに一定程度の歴史的かつ現実的な必然性があったことは認めたい。ただ、それでも「自衛という発想それ自体が暴力の源泉となる」という認識は自衛権が個別か集団かの別を超えた、一種の普遍性を持つ公理に近い命題として保持したいと個人的には考える。

自衛の暴力性を解体するために

 そして安保法制論で欠けているのは、こうした「自衛」の危うさに関する視点ではないかと思うのだ。個別自衛権を認めつつ、自衛という建前の下で武力行使がエスカレートしてゆく危険を避けるのは難しい。

 そこで本来であれば「自衛こそ暴力の源泉となる」構図そのものを解体したい。それも、できれば日本だけでなく他国も横断的に。

 その時、注目すべきはむしろ集団的自衛という発想ではないか。誤解なきようにしたいが、それは現政権が容認しようとしている集団的自衛権ではない。それは日米同盟関係に拡大された個別的自衛にすぎない印象を払拭できない。そうではなく、筆者がそこでイメージしているのは核兵器開発に有形無形に関わった科学者たちの発案が元になっているとされる「核の国際管理構想」なのだ。

「核の国際管理」案の興亡

 先鞭をつけたのは量子力学の確立に大いに貢献した理論物理学者ニールス・ボーアだったという。ナチに占領された祖国デンマークを逃れてイギリスに渡ったボーアは原子爆弾の開発を知り、新しい核エネルギー源の使用を制御・管理する協定の必要性を主張し、原子力に関する情報公開を英国首脳に求めた。

 やがてアメリカに渡り、マンハッタン計画に関わるようになるとボーアは国際的な安全保障機構の下に専門家の委員会を起き、適切な調査をしながら核を管理する必要性を唱えるようになる。

 やがてロスアラモス研究所と並んで原爆開発に貢献したシカゴ大学の物理学者の中からも戦後の核管理体制実現の重要性を唱える声が挙げられる。かつてはルーズべルト大統領に原爆開発を進言する内容の手紙をアインシュタインに書かせたが、やがて核開発に否定的になっていたレオ・シラードを含む7人の科学者が、国家間の国際的合意を行うことのみが戦後の核開発競争と核戦争の危険を防止できるとする「フランク報告」をまとめた。

 こうした国際的な核管理は戦後1945年12月にソ連が国際連合の中に原子力委員会を設置することを了承したことで実現に向けて動き出し、翌1月の国際連合総会では全会一致で原子力委員会の設置を決議している。

 この時点で唯一の核保有国であったアメリカも国務次官アチソンとテネシー川流域開発公社理事長を務めたリリエンソールによってADA(Atomic Development Authority)という国際機関を作る提案を含む報告書が作られている。

 しかし、このアチソン・リリエンソール報告は、ロスアラモス研究所で原爆開発を統括したが、 ・・・続きを読む
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筆者

武田徹

武田徹(たけだ・とおる) 評論家

評論家。1958年生まれ。国際基督教大大学院比較文化専攻博士課程修了。ジャーナリストとして活動し、東大先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大人文学部教授を経て、17年4月から専修大文学部人文ジャーナリズム学科教授。専門はメディア社会論、共同体論、産業社会論。著書に『偽満州国論』、『流行人類学クロニクル』(サントリー学芸賞)、『「核」論――鉄腕アトムと原発事故のあいだ』『戦争報道』、『NHK問題』など。

 

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