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認知症最高裁判決の問題点

「誰でも場合によって責任を負う」という新ルールは高齢者介護を崩壊させかねない

米村滋人 東京大学大学院法学政治学研究科准教授

 注目を集めた認知症高齢者の鉄道事故に関する最高裁判決が3月1日に出された。訴えられた当事者から「大変温かい判決」であるというコメントが出されたが、筆者にはとてもそうは思えない。たまたま今回の当事者には責任はないとされただけで、最高裁が打ち出したのは「誰でも場合によって責任を負う」というルールだったからだ。損害賠償法を専門とする法学者の立場から、今回の判決について改めて説明し、今後に向けた課題を整理しておきたい。

地裁と高裁で、どのように判断が違ったのか

 事件の事実関係についてごく簡単にまとめる。2007年12月、認知症を有するA(当時91歳)が列車にはねられて死亡した。Aは、自身の妻と長男の妻が目を離した隙に自宅を出て、最寄り駅で改札を通過し、電車で1駅移動しホーム端の階段から軌道敷内に入ったものと推測されている。これに関して、JR東海がAの妻と4人の子に対して損害賠償請求を行ったのがこの事件である。

 このケースでは、JR側は、家族の損害賠償責任の根拠として2つの制度の適用を主張した。 1つ目は、故意・過失によって他人に損害を与えた場合に一般的に発生する損害賠償責任(専門的には「一般不法行為責任」という)であり、2つ目は、法的責任を問えない未成年者や精神障害者の行為によって損害が発生した場合、その「法定の監督義務」を負う者が負担する損害賠償責任(「監督義務者責任」という)である。

 前者は、交通事故、公害、薬害、医療過誤など、多種多様な事件で賠償責任を認める根拠となる制度であるが、加害者に過失があったことを被害者側が証明しなければならない。それに対して、後者は、「法定の監督義務」を負う者に限り過失の証明をしなくても責任が認められ、その意味で被害者に有利な制度になっている。これは、「監督義務者責任」の制度が、未成年者・精神障害者の身近にいる者との比較で被害者の方をより厚く保護すべきであるとの考えに基づくからだ。監督義務者の側で監督義務を怠らなかったことを証明できない限り損害賠償を受けられる制度になっている。

 今回のケースについて、 一審の名古屋地裁判決は、「法定監督義務者」は存在しないものの、Aの長男が「法定監督義務者」と同様の地位にある「事実上の監督者」であるとして監督義務者責任を認め、妻は「事実上の監督者」ではないとした。しかし、妻もAが外出しないよう注意すべき義務を怠った過失があるとして、一般不法行為責任を認めた。これに対して、二審の名古屋高裁判決は、妻のみが「法定監督義務者」にあたるとする一方で、一般不法行為責任は妻にも長男にも発生しないとしたのである。

献身的な介護をした人が責任を押し付けられかねない最高裁判決

 以上を踏まえて、最高裁の判断がどういうものであるかを見てみよう。最高裁は、認知症高齢者を含む精神障害者について、成年後見人も、配偶者も、子どもも、一般的に「法定監督義務者」にはあたらないとした。その上で、「監督義務を引き受けたとみるべき 特段の事情」があれば、「法定の監督義務者に準ずべき者」(以下「準監督義務者」と呼ぶ)として監督義務者責任を負うものとした。その判断のときに考慮すべき事情として、(1)本人の生活状況や心身の状況、(2)親族関係の有無・濃淡、同居の有無など、(3)財産管理への関与の状況など、(4)本人の心身の状況や日常生活における問題行動の有無・内容と監護・介護の実態など、の4点を挙げ、これらを総合考慮して判断するものとした。

 そして、今回のケースでは、妻も長男も「準監督義務者」にはあたらないと判断したのである。他方で、妻や長男に一般不法行為責任が成立するかについては、審理対象から外れ、肯定も否定もされなかった。

最高裁判決後、報道陣の取材に応じる浅岡輝彦弁護士(右端)ら最高裁判決後、報道陣の取材に応じる浅岡輝彦弁護士(右端)ら
 以上の最高裁の判断は、 「法定監督義務者」以外の者であっ ても、「準監督義務者」として加重された責任を負う場合があるとする点で、一審判決の採用した「事実上の監督者」の枠組みに近いものである。この「事実上の監督者」という考え方は、以前から精神障害者の行為による責任が問題となった事例で、複数の下級審判決で持ち出されていたが、法学者からは強い批判が出ていた。最大の批判は、事実上監督を担うというだけで責任を負うものとすると、献身的な介護をすればするほど責任を負うリスクが高まり、誰も介護を引き受けなくなる事態が起こりかねないという点にあった。また、監督義務者責任は通常より加重された責任を負う制度であるため、重い責任を負う者の範囲が明確である必要がある、とする点も挙げられていた。

 ところが、このような批判が出ていた「事実上の監督者」の考え方に近い枠組みを最高裁が採用したのである。その結果、

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