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皆、従容として死を迎えていく

野の花診療所からのリポート

徳永進 野の花診療所医師、ノンフィクション作家

無事、死にたどり着かれた

 いろんな死がある。

 戦地での空爆や自爆テロによる死。平和国家での自然災害死。自死。他殺。病死。老いによる死。平和の中で死の近くで働いて42年。42年前と今と、日本人の死への向き合い方に変化があったかと振り返る。大きな部分は変わらない、と思う。

 がんに対しての手術、抗がん剤療法、放射線治療など進歩を遂げた部分はある。病名を言い予後を話し、余命について語り、死を迎えた人たちへの痛みやその他の症状コントロール、心のケア、スピリチュアルペインへ心配りできるようになってはきた。

 多少の変化はあるが、多くの人が最終的には従容として死に向かう、という姿に変わりはないと感じる。死の本質につながる言葉の一つに、太古からの「従容」が存在するのだろう。「受容」ではなく「従容」。

 ここに記すのは2016年の2月に死へと向かわれた人たちの短い記録。と、ぼくの感想。一人一人の病名、症状、はもちろん違うし、闘病期間は違うし、主訴も、痛み具合も違う。家族の形もそれぞれ違う。死へ至る経過は違うが、無事、死にたどり着かれた、という点は共通している。

☆1.「すき」

 83歳の女性である。

 5年前からアルツハイマー病を患った。ディサービスへ通い、そこでのおしゃべりが楽しみ。長年の肺線維症、そこに肺がんが生じた。

 服は自分で着られず、パジャマも洋服も区別できず。グループホームにお世話になった。意外にも溶け込めた。「ありがとうございます」と上品な声。手はゴソゴソして枕や布団の中身が室内に散乱。左半身麻痺。CTを撮ると、脳転移だった。

 診療所に入院。寝たきり。「分かります。大すきな先生よ」と話される。ぼくは近くのホームセンターへ子羊のぬいぐるみを買いに行きプレゼントした。麻痺側の手の下へ置いた。

 室内犬を連れて長男夫婦、毎日見舞う。横浜から娘さん、何度も帰ってくる。がんの末期なのに血圧を上げる薬を使ったり、蛋白質を補給したり、こちらも死を前に右往左往。

 「おはぎ、私、すきです」「10歳年上の主人、大すきで、声かけたの私の方」「私、あとどれくらい生きられるんでしょう。もういいかも」などの言葉が放たれた。

 2月1日午前4時37分、永眠。忘れられないことはカルテ番号が「3」だったこと。診療所の開設時からの患者さんであったこと。どんな苦境にあっても不思議な言葉「すき」を、やさしく口にし、途絶えなかったこと。

「すき」が似合う女性、鳥取市の野の花診療所の病室で。理容、「すっきりしましたよ」=2016年2月拡大「すき」が似合う女性、鳥取市の野の花診療所の病室で。理容、「すっきりしましたよ」=2016年2月

☆2.「タバコ吸わせてね」

 Tさんは77歳の男性である。

 元高校教師。ヘビースモーカー。肺がんで胸水もたまり、呼吸困難がある。奥さんは14年前にがんで他界。子どもたちは県外に。ひとり暮らし、である。

 「がんの末期になったらここに来る、って昔から決めてたんですよ」と柔和な顔で自分でおっしゃる。「でも、タバコ吸わせてね」とも。

 病状は一日ごとに変化し、進展する。

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筆者

徳永進

徳永進(とくなが・すすむ) 野の花診療所医師、ノンフィクション作家

1948年、鳥取県に生まれる。京都大学医学部を卒業。京都、大阪の病院・診療所を経て、1978年から鳥取赤十字病院の内科医に。2001年12月、鳥取市内にてホスピスケアのある有床診療所「野の花診療所」を始める。今年で15年目となる。1982年『死の中の笑(え)み』(ゆみる出版)で、第4回講談社ノンフィクション賞を受賞。1992年、第1回若月賞(独自の信念で地域医療をしている人に贈られる)を受賞。著書には『隔離』(ゆみる出版)、『死ぬのは、こわい?』(イースト・プレス)、『詩と死をむすぶもの』谷川俊太郎さんとの共著(朝日文庫)、『野の花ホスピスだより』(新潮社)、『こんなときどうする?』『野の花あったか話』(岩波書店)、『ケアの宛先』(雲母書房)、『在宅ホスピスノート』(講談社)、『団塊69』(佼成出版社)などがある。

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