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日本スポーツ界の存在感も示した室伏の引退(上)

アテネ五輪金メダルと日本選手権20連覇の偉業、IOC選手委員選挙に立候補

増島みどり スポーツライター

陸上日本選手権男子ハンマー投げで3投目を終え、手を振る室伏広治=2016年6月24日、名古屋市のパロマ瑞穂スタジアム拡大陸上日本選手権男子ハンマー投げで3投目を終え、手を振る室伏広治=2016年6月24日、名古屋市のパロマ瑞穂スタジアム
 リオデジャネイロ五輪選考会を兼ねた第百回・陸上日本選手権(24~26日)は、初日から激しい雨に見舞われ、選手たちには気の毒な、しかしこれこそ陸上競技、と認識させられる厳しい条件下での戦いとなった。

 桐生祥秀(東洋大)、山県亮太(セイコーホールディングス)の接戦によって9秒台が誕生するか、と期待された男子百メートルも、激しい雨中で予選がスタート。途中止む時間もあったが、それでもスタート地点には水たまりが残り、スタートの瞬間から最大パワーを筋肉にかける短距離ランナーには酷な環境であった。

  山県は準決勝後、「体をできるだけ濡らさないようにし、雨は嫌いじゃない、と言い聞かせた」と、率直に話した。桐生は、最初のレースのリアクションタイム(スタートまでの反応時間)が0秒19と、このレベルの競技会として非常に遅かった。決勝を終え、足の負傷も敗因と明かしたが、雨のためなのか、負傷のせいか、強気のコメントとは裏腹に、いかに慎重に、どこかに不安を抱えレースに臨んでいたのかを示す数字である。

  圧倒的な候補2人に両側を挟まれながら、最後の最後、胸を突き出し(陸上はトルソー=胴体部分がゴールラインを切ってゴール判定)わずか100分の1秒差で優勝したのはケンブリッジ飛鳥(10秒16、ドーム)だった。山県はぼう然とし、桐生はカメラの前で泣きじゃくる。選手権と五輪をかけて臨む勝負の駆け引き、勝つ難しさに触れ、この選手権で20連覇するとは一体どれほどの偉業なのか、と改めて思い知らされる。

アスリートとして、最後にオリンピックに挑戦できた誇りと寂しさを漂わせ

  初日のハンマー投げには、2年ぶりに競技会に復帰を果たした室伏広治(41=ミズノ)が出場し、64メートル74で4投目に進めるベスト8に残らず競技を終えた。5大会連続出場が消えた最後の投てきをファウルで終えると、満足そうな笑顔でサークルの真後ろを振り返った。競技を始めて30年近く、真後ろで必ずビデオを回し続けてきた父・重信氏の定位置を無意識に探したからだ。

  「体力の限界。体力も気力も尽くしたと思う。今後は、世界選手権やオリンピックといった高みを狙うことはもうありません」

  メディアの前で「もう高みは目指さない」としたのは、多くの困難や想定外の事態を乗り越えて豊かなキャリアを積んでも、「引退」を口にする自分の姿だけは想像できなかった戸惑いからなのだろう。あえて、「現役引退ということでしょうか?」と聞くと、「そう取って頂いても構いません」と、うなずいた。

  ランニングやサッカーのように「楽しんで競技したい」と言えるような種目ではない。第一線からの引退、と表現するが、ほかにどんなハンマー投げの競技会があるだろうか。どれほど寂しいのか。現役引退、と明確に口にしなかった様子に、その深く大きな喪失感がにじみ出ていた。

  2020東京オリンピック・パラリンピック組織委員会、日本陸上競技連盟、国際陸連と多くの役職で仕事をこなし、スポーツ界の命運を握るような重責に追われるなか、愛し、全身全霊を傾けてきた鉄球とだけ向き合い、決心する場を2年間も探し続けていたはずだ。

  中京大時代に東海インカレで競技した瑞穂陸上競技場、地元愛知で、 ・・・続きを読む
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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

スポーツライター。1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

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