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深刻化する刑務所の医師不足

解消のため、派遣される医師にインセンティブを与える制度を

日向正光 社会医療法人公徳会若宮病院精神科 医師

 一般社会では医療崩壊・医師不足が叫ばれて久しいが、それに劣らず矯正施設の医師不足問題も深刻である。全国の刑務所や少年刑務所などの矯正施設には医師を配置することになっているが、インターネットで刑務所医師の募集案内をみると平成28年6月現在、全国に8つある矯正管区のうち広島矯正管区以外の約40カ所の矯正施設で医師募集が行われている。

日向原稿につく写真拡大受刑者が津軽塗を作る作業をする工場=青森市の青森刑務所
 その中を見ると約3000人を収容できる東京拘置所や府中刑務所などの大規模施設をはじめ、医療刑務所や複数の少年院や医療少年院なども医師募集がかかっている。しかし、医師が充足される様子は一向にない。なぜこれほどまでに矯正施設に医師が赴任しなくなってしまったのであろうか。

医師不足の原因の1つに新臨床研修制度

 矯正施設の医師不足の原因の1つとして平成16年4月から施行された新臨床研修制度が挙げられる。これまでの臨床研修制度は医師免許を取得後、主に自分の出身大学または自分の出身地に近い大学の医局等に所属することにより、医局関連の単一診療科のストレート研修が行われていた。私のように臨床研修指定病院の1つである虎の門病院等で複数の診療科を研修するローテート研修を行うことも認められていたが、当時ローテート研修を選択する医師は少数派であった。

 ところが、地域医療との接点が少なく、専門の診療科に偏った研修が行われ「病気を診るが、人を診ない」と評されたり、研修医の処遇が不十分でアルバイトをせざるを得ず、研修に専念できない状況があったり、研修内容や研修成果の評価が十分に行われてこなかった。

大学で研修する医師が大きく減少、刑務所派遣の医師も引き上げに

 以上の理由からプライマリケア(病気の初期診療)の基本的な診療能力を修得するとともに、アルバイトをせずに研修に専念できる環境を整備する目的などから、卒後目指す進路に関係なく2年間は内科・外科などの複数の診療科を回るローテート研修を義務づけることになった。このシステムが開始されたことにより全国で研修医の争奪戦となり、多くの民間病院も募集を開始したため研修医の半数以上が大学病院以外に流れ、大学で研修する医師が大きく減少することとなった。

 そこで研修医を当てにしていた医局が人員不足に陥り、やむなく関連病院に派遣していた医師を引き揚げたことで、地方や僻地(へきち)の病院が医師不足になってしまったのである。そして新制度以前は大学院生や無給医局員の受け入れ先として機能していた刑務所も、同様に医師を引き上げられてしまい、医師不足に陥ってしまったという訳である。福島刑務所も新制度が始まる前までは大学の皮膚科と精神科の医局が常勤医師の派遣をしていたのだが、同時に医師派遣を終了することになった。おそらく、他の刑務所でも同じ時期に同様の問題が起こっていたはずである。

受刑者が患者という特殊な状況もネックに

 また、患者が全て受刑者という特殊な状況もネックになっている。一般社会と比べて医師・患者間の信頼関係を結びにくく、治療がうまくいっても感謝されることが少なくない上に、治療に難渋すると罵声を浴びせられるなど暴言や暴力、訴訟に巻き込まれる可能性も否定はできない。実際に私も暴言を吐かれ、医療訴訟にも3件巻き込まれている(全て原告側の一審敗訴ではあるが)。

 また受刑者である患者の訴えが真実かどうか、その訴えにある背景には何があるか等、医療以外のことにも配慮する必要がある。残念ながら、受刑者の多くは、詐病また症状を誇張している可能性が高く、本人の訴えと身体所見や客観的な事実が乖離している場合が少なくない。

 さらに職員にも「また詐病ではないか」という先入観が生まれやすく、職場のモチベーションを維持するのが困難である。しかし、そういった多くの詐病や症状を誇張した患者の中に埋もれて、本物の重症患者が隠れていることがあるため、刑務所で医療をすることは一般社会以上に気を遣い、慎重で適切な判断が必要になるので非常に大変である。

 さらに、刑務所で医師として働くためには、これまでの診療のスタイルを根本から変えなくてはならない。病院ならすぐにオーダーできる内視鏡やCT・MRIなどは医療刑務所などの一部の刑務所を除いて一般の刑務所にはまずない。それらの検査のために外部病院に受刑者を搬送するとなると公用車を用意して刑務官3人を同伴させなければならない。さらに入院治療となると刑務官が3交代で1日9人の配置が必要な上に、受刑者は無保険のため莫大な医療費を刑務所が負担しなければならないことになる。

 よって、受刑者の病状だけでなくそのような人的、時間的、経済的コストを考慮しても検査を行う緊急性・必要性があるのかどうかを常に検討しなければならないのだ。万一、詐病を見抜けず外部病院に搬送して興奮・暴力沙汰になったり、また逃走されたりしたら刑務官たちの信用を失うどころか、当該病院から以後全ての受刑者の診療は一切受けつけられなくなってしまうことになる。刑務所の近くに病院はいくつもあってもすぐに搬送できない様々な事情があるため、刑務所は医療に関して常に「陸の孤島」なのである。

 刑務所での診療は自分の問診や診察などの技術とわずかな検査機器、あとはこれまで経験した症例の質と数、そして「何となくおかしい」といった自分の勘だけが頼りである。自分のプライマリケアの診療能力が試される場所であると同時に、 ・・・続きを読む
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筆者

日向正光

日向正光(ひなた・まさみつ) 社会医療法人公徳会若宮病院精神科 医師

平成 9年3月福島医大卒。虎の門病院内科レジデント、福島医大大学院(薬理学)、福島刑務所医務課などに勤務し、平成24年4月から社会医療法人公徳会 若宮病院 心療内科・精神科。医学博士、厚生労働省精神保健指定医、日本薬理学会学術評議員。著書に『塀の中の患者様』(祥伝社)。