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相模原障害者施設殺傷事件をどう受け止めるべきか

金閣寺放火事件のような妄想による犯行か、騒がないという日本の伝統的な犯罪対策

河合幹雄 桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)

ついたての裏に侵入経路となった割られた窓ガラスが見える=2016年7月27日、相模原市緑区の津久井やまゆり園、本社ヘリからついたての裏に侵入経路となった割られた窓ガラスが見える=2016年7月27日、相模原市緑区の津久井やまゆり園、本社ヘリから
 2016年7月26日未明、相模原市の障害者福祉施設に、元職員が侵入し、職員を拘束バンドで拘束したうえで、用意した刃物で入園者を次々と襲った。その結果、死傷者45人、うち19人が死亡した。犯人は、そのまま警察署に自首した。

  この大事件を前にして、我々は、どう受け止めるべきなのか、治安の観点から検討したい。このような場合、何が起きたのか、正しく理解することから始めなければならない。

  この事件の第一の特徴は、単純に見れば、一度期の殺人事件として歴史上稀に見る19人もの死者を出したことである。そこから見ていきたい。日本の殺人事件について20世紀以降全て調べたが、人数に注目すれば、有名な津山の32人殺し(1938年)、テルアビブ空港乱射事件(死者26人、1972年)、日航逆噴射事件(死者24人、1982年)が今回を上回る記録である。津山の事件は、犯人は直後に遺書を残して自殺しており、テルアビブ空港乱射事件は、3人の犯人によるテロ事件であり、日航逆噴射事件は、全く計画性がなく心神喪失による不起訴となっている。

  いずれも、今回の事件と、非常に重要なところで異なっている。連合赤軍やオウムの一連の事件も、被害者数は匹敵するものの、全く別種のものであることは説明するまでもないであろう。12人の犠牲者を出した帝銀事件も金銭目的であり、まるで異なる。結論として、大勢の犠牲者を出した殺人事件によく似た前例はない。

  結果的に二けたの死者を出したという条件をはずして、犯人が、主観的に大量殺人を目指したものとなれば、これは解釈によっては沢山ある。「みな殺しにしてやる」と主観的に思ったが、殺人未遂で終わるとか、1人殺害して止めるということは、よくある。しかし、カッとなってという事件は普通の事件であり、類似性を云々するレベルではない。

  もう少し絞って、大量殺人をするために計画を練って準備したとするならば、最近なら池田小学校児童殺害事件(死者8人、2001年)、秋葉原通り魔事件(死者7人、2008年)が想起される。他にも8人前後の殺害した事件は、小平義雄、古畑惣吉、大久保清等の有名事件から、大きく報道されなかった一家皆殺し事件まで、多数あるが、どれも動機が異なっている。大量殺人を企画する犯人の共通点をさぐれば、第一の共通点は自分が死ぬつもりであったし、少なくとも悪事を働いている自覚はある。結論として、殺人事件の中には、今回と似た事例はないということになる。

  次に、事件内容は脇に置いて、動機にだけ注目してみよう。「障害者を安楽死させたかった」と本人は言っていることから、障害者に対するヘイトクライムという見方が報道の中に散見される。しかし、これは見当違いであろう。犯人は、障害者に対する憎しみから行動しているわけではない。

  また、優生思想の保持者という解釈もされるが、

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