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最も成功した新人類勝負師だった千代の富士(下)

豪快な性格が、孤高の横綱を引退後には両刃の剣になったか

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

1989年11月の九州場所で土俵入りをする千代の富士1989年11月の九州場所で土俵入りをする千代の富士
  千代の富士が残した数多くの記録の中で、優勝決定戦6回を全勝したことは特筆すべきで、うち4回は本場所で負けた相手に優勝決定戦で勝つという勝負強さを示した。また休場明け10場所中6回の優勝という土壇場の強さも、とくに晩年に体現した。

 一方で千秋楽より前に独走で優勝を決めてしまった後や、楽勝と思った相手への集中力の低下を自ら課題視している発言もあり、うかつに取り組んでしまった結果の最たる例が、53連勝でストップした横綱大乃国(現・芝田山親方)戦、覇者交代のように語られる唯一の貴花田(現・貴乃花親方)戦だった。

 肉体的な衰えを敗戦の形ではほとんど見せないまま潔く引退したのは、出羽海部屋100年来(師匠・北の富士は出羽海部屋に入門)の横綱のあり方を守った側面と、有名な引退記者会見で千代の富士自身が述べた「‥気力もなくなり‥」がすべてを損なう「新人類」としての側面を両方見せたものであった。

 自分に厳しく周囲に豪快な姿は、超一流の横綱の成績を35歳まで続けるには大きく貢献したが、九重部屋の指導者としては本人へのストレスの原因になっていったと思われる。弟子たちと交換日記を

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