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登山で女性躍進の道を切り開いた田部井淳子さん

エベレストより冷たかった丸の内の北風、余命3カ月から4年間目指し続けた頂

増島みどり スポーツライター

東日本大震災で被災した故郷・福島県三春町の人々と毎年、那須岳に登った田部井淳子さん=2015年8月、栃木県那須町拡大東日本大震災で被災した故郷・福島県三春町の人々と毎年、那須岳に登った田部井淳子さん=2015年8月、栃木県那須町
 女性で史上初めて世界最高峰エベレスト(8848メートル)の登頂を果たした登山家の田部井淳子さんが、10月20日、77歳で死去した。2007年に乳がんが発見され、12年には腹膜がんで医師から余命3カ月の宣告を受けたが、手術と抗がん剤治療を受けながら4年もの間、歩みを留めなかった。

 1975年のエベレスト登頂以降、92年には女性初の7大陸最高峰を制覇。世界的にも輝かしいキャリアを締めくくったのは、東日本大震災で被災した高校生たちのために始めた富士山登山。5回目となったこの夏、ご自身は7合目で頂上を目指す約100人の高校生を見送ったのが最後の登山になったという。

  福島・三春町出身の小柄な女性は、エベレストで世界中の女性を「女性でも、母親でも出来る」と励まし、被災地で未来を担う高校生たちに「自信を持って目標を追いかけて」と勇気を与えて山を下りた。田部井さんの登山は困難と闘い、それを乗り越えた世界的登山家の栄光だけではなく、こうした苦境にある人の背中をそっと押してくれるような優しさ、力強さに溢れていたように思う。

  毎年12月になると、「年末年始には山に出掛けますので」と、年賀とクリスマスを兼ねたカードを送って下さった。「たとえ小さな国でも、どんなに低い山でも、その国の最高峰を登ってみたい」と、その年に制覇した各国の最高峰(70カ国以上の最高峰に登頂)の写真や紀行が記され、見たことのない景色に心を奪われた。そしていつもハガキの片隅にこう書き込まれていた。

  「お仕事頑張って下さいね。原稿いつも楽しみにしています」

  登山はしない私の背中まで押してくれた、憧れの女性である。

山より冷たかった風を忘れない 女性が登山なんて・・・と言われた時代に

  人類のエベレスト初登頂50年を記念した出版で、世界で38人目(女性初)、日本人で6人目の登頂者となった田部井さんを取材している。

  69年、女性だけの山岳会「女子登攀クラブ」が結成される。日本がエベレスト初登頂に沸いた70年、彼女たちは標高7555メートルのアンナプルナⅢ峰に登り、密かにエベレストを見上げていた。大学の体育会登山が中心だった時代、女性にチャンスなど絶対に回って来ない。実力は十分あるのに認められないジレンマに「男性に頼み込んで待つより、こうなったら女だけで行ってしまおう」(田部井)と、冒険への力強い一歩に転じた。

  現代なら「母親」が活躍する姿は十分好意的に扱われるだろう。しかし当時は、むしろマイナスの評価を受けた。「子育てをしていればいいのだ」と、露骨に言われた。

  だからお金も集まらなかった。1人5社ずつ会社訪問をして何とか寄付を集めようと、クラブメンバーで分担をし、一流企業が並ぶ丸の内のオフィス街を歩き回る。「あの冷たかった風は今も忘れない」と、しみじみと言った。こんなインタビューが残っている。

  ――女性がエベレストへ?そんな話をまともに取り合ってくれた企業が多くあったとは思えません。

  田部井 ええ、本当にそういう時代でした。今でもあの時に味わった惨めさというのを私は忘れることができないんですね。総務課、庶務課といった所で説明をさせてもらうんですが、計画書を見せて、女だけで行きます、と言うと、ところであなた、お幾つ? 結婚は? エッ、子供がいるの? エベレストなんて ・・・続きを読む
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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

スポーツライター。1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

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