目指すべき理念の底が抜けた世界が、私たちを待ち受けているのかもしれない
2017年01月03日
金属の光沢を思わせる壁面は、最高級ブランドの路面店が並ぶニューヨークの目抜き通り、五番街の中でもひときわ目立つ。この高層ビル、トランプタワーに、次期大統領ドナルド・トランプ氏は住んでいる。
米大統領選があった昨年11月8日以降、日本の安倍晋三首相、孫正義氏らを含む海外の要人、次期政権入りが検討される政治家や経済人などが、このビルを引きも切らず訪れた。その様子を取材する報道陣や、世界各地からの観光客、抗議のデモ隊までもが集い、戦闘用ライフルで武装したニューヨーク市警の警官が近づく人々を威圧する。この混沌とした様子は、まるでトランプ氏が率いるアメリカの今後を象徴しているようにも見える。この地から、2017年を考えてみたい。
トランプ政権の「最初の100日」はどのようなものになるだろうか。
判明した閣僚たちの詳しい顔ぶれや経歴は他稿に譲るが、米石油大手エクソンモービルの最高経営責任者レックス・ティラーソン氏が国務長官に起用されるなど、大企業の経営者らが顔を揃えた点が興味深い。
反エスタブリッシュメント、反エリートの看板を掲げ、白人労働者階級の支持を集めてホワイトハウスへの切符を手にしたにもかかわらず、新政権に招き入れるのはビリオネアばかり、というのが何とも皮肉である。この支持層と本人の意識のギャップが、トランプ政権というものを如実に表している。
トランプ氏の今までの発言やツイートから新政権の方向性を占うと、大きく分けて3つのことが言えるだろう。まずは、保護主義。最大の公約とも言える「アメリカ・ファースト(アメリカ第一主義)」に従い、移民の流入を制限すると同時に、産業の国外移転を規制してアメリカ人の雇用を確保することを狙う。
次に、経済界優先。閣僚の顔ぶれからして、大企業を優遇し、経済産業界の利害に沿った経営側重視の政策を取ることになる見込みが高い。地球温暖化を否定して石油業界の利権を守り、金融規制も緩和してウォール街の自由度を取り戻す方向へ向かうに違いない。
加えて、減税と財政出動。選挙戦でも強調していたように、大規模減税を実施し、かつ公共投資も模索していく。一方で、所得再分配政策や最低賃金の増額など、リベラルを象徴するような政策はあくまで否定する可能性が高い。オバマケアに対しては、「残すところは残したい」などと微妙な立場をとっているが、おそらくこれも大きな方向性では、保守の嫌う国民皆保険を解体する方向へ向かうのだろう。
問題は、このような政策が、トランプ支持者たちの望むようなアメリカを導くのか、という点だ。
前稿までに書いてきたように、トランプ氏を最後の数パーセントで当選圏内に押し上げたのは、産業の空洞化やITによって雇用を奪われ、貧困化しつつある白人中流層である。再分配を否定する以上、保護主義と移民規制によって新たに国内に雇用を増やすのが目標なのだろうが、その思惑通りに事が運ぶだろうか。
グローバリズムの流れを制御し、経済政策のいいとこ取りをして国内産業に昔日の栄光を取り戻すことができるのなら、今までの米政権や他の先進国がとっくの昔に実行しているだろう。
仮に国内産業が息を吹き返したとしても、情報技術と人工知能による省力化で、生産現場は以前ほどの労働力を必要としなくなっている。中国や途上国の低賃金労働者と同じことしかできないような単純労働力に、企業は高給を払わない。
規制緩和と金融緩和によってバブル状況が生まれる可能性はある。すべてが「ディール(取引)」であるという信条の持ち主だから、よく言えば臨機応変、悪く言えばその場しのぎの政策を繰り出し、一時的にでも経済が好転していくことは十分考えられる。現に市場は好感し、株高に沸いている。
しかし、バブル経済による「トリクルダウン」の恩恵が、没落していく中間層に届くとは思えない。大企業や富裕層を優先する経済振興策は格差を広げるだけ、ということは、この20年あまりの各国経済が証明している。
ポピュリズム政治家が権力につくと浮揚力を失うとされる一番の理由は、彼らは期待のバブルを膨らませることで支持を得ているからだ。
トランプ氏も、論理的整合性を無視し、虚偽まで交えて、「自分が政権をとればアメリカは再び偉大になる」と言い続けてきた。「エスタブリッシュメントたちは腐敗している」と批判して敵を作り上げ、アウトサイダーである自分しかアメリカを救うことはできない、と支持者に信じ込ませた。その膨れあがった期待を完全に満足させることは、不可能に近い。
上記のような経済政策の手詰まりと、それに伴う政治の不安定化は、アメリカに限らず、多くの先進国が直面している壁である。
最近、注目されている一つのグラフがある。
エレファント・カーブと呼ばれるそのグラフは、全世界の個人所得の伸び率を縦軸に、所得水準を横軸にして示したものである。象の背中から鼻の付け根にかけていったん下がり、鼻の先に向けて再び上昇する。この曲線は、冷戦崩壊後、中国やインドなど新興国の民衆と世界の富裕層が所得を伸ばす一方で、先進国の中間層だけが伸び悩んでいることを示す。
このグラフは、例えば、以下の世界銀行のブログにも取り上げられている。
象の鼻の沈んだ部分、先進国の中間層こそが、最もグローバル化の犠牲になっているということだ。第2次大戦後、アメリカ、欧州、日本などでは、分厚い中間層の存在が政治の安定を支えてきた。そのスタビライザーの崩壊が、ポピュリズム政治の横行を招いている。
各国政府は、これに対して有効な手を打てていない。グローバル経済から抜け出して国家の繁栄を追求するのが困難だとすると、割を食っている人々に対して所得の再分配をすることしか現実的な解決策はなさそうだが、それを実行するだけの体力は、多くの国家から失われている。
グローバル化がもたらす荒波、国際競争にさらされるリスクは、個人が自己責任で引き受けるには苛烈過ぎる。だからこそ、国家というセーフティーネットが今、再び呼び出されているのだが、その国家もまた、グローバル化によって弱体化しているというのが、この問題の根にある事実である。
グローバル化の負の影響を国家が和らげることに失敗し、それによって国民が分断され、政治が不安定化し、ますます国家のガバナンスが揺らいでいく。国家の役割が増すにもかかわらず、その国が力を失っていくというアポリアが、世界を覆っている。
大統領選でトランプ氏の勝利が判明した直後、世界システム論で知られる社会学者のイマニュエル・ウォーラーステイン教授に取材をした。上記のようなグローバル化に伴う国家の弱体化について、直接言及したわけではないが、教授はこんな見方をしていた。
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