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【1】もう一度、「大人の貧困」の話をしよう!

稲葉剛 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科客員教授

 現代の日本社会は、貧困の拡大に歯止めがかからない状況に陥っている。

 国民生活基礎調査によると、2012年段階での相対的貧困率は、全体で16.1%、子どもの貧困率は16.3%まで上昇している。特に深刻なのは、母子家庭など、大人が一人の「子どもがいる現役世帯」で、この層では54.6%が相対的貧困状態にある。

貧困率の変化
 相対的貧困率とは、OECDの貧困統計で用いられている指標であり、一人あたりの可処分所得の中央値の50%(このラインを貧困線と呼ぶ)を下回る所得しか得ていない者の割合を示している。2012年の国民生活基礎調査の貧困線は122万円なので、大雑把に言うと、国民の6人に1人は、「1人あたり月10万円程度しか家計に使えない」状態にあると言える。

非正規労働者の増加で相対的貧困率は上昇

 1985年に10.9%(子どもは12.0%)しかなかった相対的貧困率は、若干の変動はありながらも、右肩上がりの上昇曲線を描いてきた。その要因として最も大きいのは、非正規労働者の増加である。派遣、パート、アルバイトなどの非正規労働者が全労働者に占める割合は、1985年の16.4%から2015年には37.5%にまで上昇した。

 「最後のセーフティーネット」と呼ばれる生活保護を利用する世帯数も増え続けている。2016年10月時点の生活保護世帯数は163万7866世帯で、3カ月連続で過去最多を更新した。厚生労働省は、現役世代は減少傾向にあるものの、一人暮らしの高齢者世帯が貧困に陥るケースが増加していると分析している。

 こうした客観データだけでなく、近年、主観的にも生活苦を感じている国民が増えている。国民生活基礎調査によると、生活が「大変苦しい」と感じている世帯の割合は20.2%(2000年)から27.4%(2015年)にまで増加。「やや苦しい」と合わせると、国民の約6割が生活苦を感じているのだ。

 だが、こうした社会状況にもかかわらず、政治の場で民主党政権時代のように貧困対策の必要性が熱く語られる機会は減ってきている。市民レベルでも政府に対して貧困対策の強化を求める世論が高まっている、とは言いがたい状況だ。

高まる「子どもの貧困」問題に対する関心

 唯一の例外と言っていいのは、「子どもの貧困」問題に対する関心の高まりだ。

 特に昨年来、子ども食堂の取り組みは全国で急速に拡大し、首都圏だけでも百数十カ所、全国では数百の子ども食堂が開設されている。マスメディアでも「子どもの貧困」に関する報道を目にしない日はないくらいだ。

 なぜ、「子どもの貧困」だけが例外的に注目を浴びるのか。それは「子どもの貧困」問題では、自己責任を問うことができないからである。裏を返せば、いったんは注目を浴びた「大人の貧困」問題に対しては、必ず自己責任を問う声が人々の間から発せられ、それが問題の社会的解決を阻む作用を果たしてきたと言える。

 そのため、貧困問題に取り組んでいる人たちの間では、「子どもの貧困」対策を「貧困問題全体の牽引車」にしていこうとする主張も見られる。

 “この問題は「貧困問題全体の牽引車」だと思っています。子どもの貧困は大人の貧困に比べて、いわゆる自己責任を言われにくい。子どもは親を選べない。「それまでにどうにかできただろう」「いやいや、3歳ですけど」という話ですから、どうにかできない。だからこそ、世の中の共感を得やすいので、だとしたら、共感を得られる潜在力を最大限発揮して、いわば貧困問題全体の機関車として、全体の貧困問題を引っ張っていってほしいという期待が一つあります。そのための役割を果たせるだろうと思います。”

 “子どもの貧困問題は、実際は子育て世代の貧困なので、親の貧困が深く深く関わっていますが、あえてそこは切り離す。そして、まずは子どもの問題にフォーカスして考える。「子どもの問題を放置できないよね」という中で、だんだんと親の問題にも達していく。そうしたことを考えています。”

http://blogos.com/article/201211/亀松太郎Yahoo!ニュース個人「『年間アワード』を受賞した湯浅誠さんのスピーチが素晴らしかった」より

 この発言をしているのは、かつて「反貧困」というスローガンを掲げて、貧困の社会的解決を訴えてきた社会活動家の湯浅誠である。彼は、「大人の貧困」問題解決を阻む自己責任論の壁を痛感し、迂回戦術を採ることにしたのだろう。

 せっかく進み出した「子どもの貧困」対策を後退させないために、そこにフォーカスしていく取り組みは必要である。

政治の責任が捨象された首相の言葉

 ただ、そこから「だんだんと親の問題にも達していく」のは至難の業だろう。そうはさせまい、という政治の側からの動きがあるからだ。

 「親の問題」に到達しないようにする力は、例えば以下のようなメッセージに象徴されるものだ。

安倍首相のメッセージ

http://www8.cao.go.jp/kodomonohinkon/kokuminundou/tsudoi.html

日本の未来を担うみなさんへ

あなたは決してひとりではありません。
こども食堂でともにテーブルを囲んでくれる
おじさん、おばさん。
学校で分からなかった勉強を助けてくれる
お兄さん、お姉さん。
あなたが助けを求めて一歩ふみだせば、
そばで支え、その手を導いてくれる人が
必ずいます。
あなたの未来を決めるのはあなた自身です。
あなたが興味をもったこと、好きなことに
思い切りチャレンジしてください。
あなたが夢をかなえ、活躍することを、
応援しています。

平成28年11月8日
内閣総理大臣 安倍晋三

 これは、「子どもの貧困」対策に寄付を募る政府の「子供の未来応援基金」の1周年の集いで発表された安倍首相のメッセージである。

 SNS上で「ポエムだ」と酷評する人も多かった安倍首相のこの言葉には、「子どもの貧困」対策における政治の責任が完全に捨象されている。政治家は高みに立って、貧困家庭の子どもを応援するだけの存在なのだ。

 「子どもの貧困」対策を親への支援にもつなげていくためには、社会の共感や理解を広げていくと同時に、こうした政治のあり方を変えていく必要があるだろう。

「大人の貧困」を正面から語っていく言説や社会運動が必要だ

 その上で、私が強調しておきたいのは、当たり前のことだが、「子どもの貧困」によって牽引されるのは「大人の貧困」の全てではない、ということだ。

 「子どもの貧困」対策が進み、親に達したとしても、それは子育て世代への支援にしかつながらない。高齢者や単身者など、子育てに直接関わらない「大人の貧困」を牽引することにはつながらないだろう。

 最悪の場合、つながらないどころか、高齢者VS子育て世代という偽の世代間対立の構図が作られてしまう危険性もある。

 だから、私は「子どもの貧困」から迂回していくのと同時に、「大人の貧困」を正面から語っていく言説や社会運動が必要だと思うのだ。

 自己責任論の厚い壁にぶち当たろうとも、その壁に「蟻の一穴」を開けていくような言葉と行動を積み重ねていく。

 効率的ではないかもしれないが、そんな試みの一端をこの連載で紹介していきたい。