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取材14年、浅田真央への感謝の想いを込めて

これから「普通の女性としての楽しみ」もたくさん味わってほしい

田村明子

3歳で習い始めたバレエの発表会の写真に笑顔を見せる浅田真央選手=13日午後、東京都中央区の日本橋高島屋2014拡大3歳で習い始めたバレエ発表会の写真に笑顔を見せる浅田真央=2014年、東京都中央区の日本橋高島屋
 浅田真央引退の報道を知ったとき、衝撃ではあったものの、同時に、来るべき時が来たのか、と静かに受け入れる気持ちが沸いてきた。

 2002年11月に名古屋で行われた全日本ジュニア選手権に出た12歳の彼女を初めて取材させてもらってから、14年余り。よくぞここまでレベルを保ち、息の長い選手活動を続けてきてくれたものだと、改めて頭が下がる思いである。才能がありながら2、3年で消えていく選手も多い中で、浅田真央がその長い選手生活を通してフィギュアスケート界にどれほどのものを残してくれたことだろうか。

「世界中が恋に落ちた選手」

バンクーバー五輪 拡大2010年バンクーバー五輪のSP。曲は「仮面舞踏会」
 「マオは日本選手として初めて、世界中が恋に落ちた選手だったと思います」と語るのは北米のフィギュアスケート専門誌、「インターナショナルフィギュアスケーティング」の編集長スーザン・ラッセルである。

 「彼女がシニアGPデビューをした年から、現在に至るまで、成績が良いときも悪い時も、世界は彼女を愛し続けました」

 アスリートとして、彼女のひたむきな不屈の精神は多くの人々に感動と勇気を与えてきた。だがラッセル氏が語ったように、世界中から彼女が愛された理由は、強かったからだけではない。

 彼女には、国際社会に通じる天然の愛されキャラがある。強い気持ちで戦いながらも、見ている人々の心を癒すオーラが、彼女のスケーティングを通していつも伝わってきた。

 強い選手、すごい成績を収めた選手はほかにもいるが、浅田真央がここまで世界中のファンに愛され続けてきたのは、その人柄のなんとも形容しがたい純粋さが見ている相手の心に飛び込んでくるという魅力を持っていたことも大きいと思う。

 彼女が氷の上で成し遂げてきた数々の偉業については、すでに多くの媒体で何度も紹介されてきたので、ここでは個人的な秘蔵の思い出を披露したいと思う。 ・・・続きを読む
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筆者

田村明子

田村明子(たむら・あきこ) ノンフィクションライター、翻訳家

盛岡市生まれ。中学卒業後、単身でアメリカ留学。ニューヨークの美大を卒業後、出版社勤務などを経て、ニューヨークを拠点に執筆活動を始める。1993年からフィギュアスケートを取材し、98年の長野冬季五輪では運営委員を務める。著書に、『パーフェクトプログラム――日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』、『銀盤の軌跡――フィギュアスケート日本 ソチ五輪への道』(ともに新潮社)などスケート関係のほか、『聞き上手の英会話――英語がニガテでもうまくいく!』(KADOKAWA)、『ニューヨーカーに学ぶ軽く見られない英語』(朝日新書)など英会話の著書、訳書多数。

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