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フジテレビのトップ交代の真相(上)

「新しい風を巻き起こすため」退任した日枝会長は「80歳までに辞めるつもりだった」

川本裕司 朝日新聞記者

ライブドア騒動のとき、自宅前で報道陣の質問に答えるフジテレビの日枝久会長=2005年3月7日、東京都内ライブドア騒動のとき、自宅前で報道陣の質問に答えるフジテレビの日枝久会長=2005年3月7日、東京都内
   「亀山(千広)君だけでなく私も辞めないと、フジテレビに新しい風が吹かず、変わらないと思った」。1988年にフジテレビの社長に就任し、2001年からは会長として経営の最高責任者を務めてきた日枝久フジ・メディア・ホールディングス(HD)会長(79)が、朝日新聞の取材にトップの座を退く理由を語った。「これまでタイミングがなかったが、以前から(今年12月に)80歳になるまでには辞めるつもりだった」とも述べた。6月28日の株主総会後の取締役で代表取締役会長から取締役相談役へと退く。

  日枝会長は4月27日にあったフジテレビの局長会で「新しい風を巻き起こす必要がある」と自らの決意を示した。月に一度だけ出席する幹部社員の会議で、首脳の交代を示唆するとも受け止められる発言をした。人事異動には言及しなかったものの、日枝会長の腹は固まっていた。

  5月1日にはフジテレビとHDの新会長になる嘉納修治HD社長(67)と両社の新社長になる宮内正喜ビーエスフジ社長(73)に、新しいポストと自らの退任を伝えた。亀山社長(60)にビーエスフジ社長への転出を告げたのは3日だった。日枝会長は「私の退任は知らせていなかったので、3人とも驚いていた。会長、社長以外の役員人事は嘉納君と宮内君に任せた」と話す。

  役員の異動内示は9日、正式な発表は11日だった。15日にあったIR説明会で、日枝会長は「私が編成を拝命したときに我が社を取り巻く環境に非常に似ている」と話した。視聴率が低迷していた当時の編成局長に日枝氏が就任したのは1980年。37年ぶりの強い危機感の表明だった。

  同時に「喫緊の課題は視聴率のアップ、営業収入の向上に尽きる。経営体制を変更することで新しい風を巻き起こし、社内一新で業績が上がることを確信している。きっかけさえつかめば、視聴率は上がっていく。今後は陣頭指揮を取り細かい指示を出すのは宮内社長であり、担当役員や社員、スタッフが思い切って活躍できる組織態勢をつくるのが使命と思っている」と強い口調で言い切った。

  日枝会長は編成局長として「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズにすえ、「オレたちひょうきん族」などのバラエティー番組をヒットさせた。82年から93年まで全日(午前6時~午前0時)、ゴールデン(午後7時~10時)、プライム(午後7時~11時)の三つの時間帯で視聴率がトップとなる「三冠王」に輝き、フジテレビの黄金時代の礎を築いた。

  フジテレビ専務から系列の岡山放送の社長、ビーエスフジ社長を歴任した宮内氏をフジテレビの新社長に選んだ理由について、「編成、事業、人事、経営戦略、ネットワークと幅広い経験を積んできた。演出の能力は

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