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[7]歪められた行政、抵抗できなかった厚労官僚

安倍政権の生活保護基準引き下げをめぐって

稲葉剛 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任准教授

 「総理の『ご意向』によって、行政が歪(ゆが)められた。」

 加計学園の獣医学部新設をめぐって、前川喜平・前文部科学事務次官の告発が安倍政権を揺るがしている。森友学園への国有地売却問題でも、7月13日、「行政が歪められた」として、弁護士グループが近畿財務局の局長らを背任容疑で刑事告発した。

 しかし、安倍政権の政治的な圧力によって行政のあるべき姿が歪められた事例は、これら一連のスキャンダルだけではない。2012年12月に第二次安倍政権が発足して、最初に行った「仕事」も、行政を歪めるものだったと私は考えている。

 それは、私たちの社会の「貧困ライン」を変更すること。つまり、生活保護基準の引き下げだ。

自民党の公約実現のための生活保護基準引き下げ

 2013年1月27日、厚生労働省は生活保護の生活費部分にあたる生活扶助基準の引き下げを発表し、1月29日に引き下げが閣議決定された。その内容は、2013年8月から3年間かけて、段階的に生活扶助費を約740億円(国費ベース、約7.3%)削減するというもので、全体の96%の世帯が引き下げの対象とされていた。引き下げ幅は世帯によって異なるが、最も引き下げ幅の大きい「夫婦二人と子どもが2人いる世帯」では10%の減額となった。

 生活扶助の基準は、5年に1度、有識者からなる社会保障審議会生活保護基準部会(以下、基準部会と略す)の議論を踏まえて、見直しが行われる。2013年度からの引き下げも、同年1月18日に発表された基準部会の報告書を踏まえて基準を見直す、という形式を取っていたものの、報告書が発表される前から厚生労働大臣は引き下げの方針を明言していた。2012年12月16日の衆議院総選挙で圧勝し、政権に復帰した自民党が「生活保護費の給付水準の一割カット」を政権公約にしていたからである。

 2012年12月26日に発足した第二次安倍内閣において厚生労働大臣に就任した田村憲久氏は、翌27日、厚生労働省内での初の記者会見において生活保護基準について記者から問われ、「下げないということはないと思います」と明言した。

 さらにその翌日の28日には、「一割カット」の公約と基準部会における専門家の議論との整合性を問われ、「基準部会の一つの結論というものは重きは置かなければならないと思います。一割をなぜ言っているかというと、これは、一方で我々が戦った政権公約の中の一つのお約束と言いますか、打ち出したことでありますから、これは当然自民党から選出をされた大臣としては、ある程度の制約は受けると思います」と答えている。

 前述のように、この時点で、まだ基準部会は報告書を発表していなかった。また、その翌月に発表された報告書も全面的な引き下げを容認する内容になっていなかった。だが田村厚労相は、報告書を見る前の段階で「引き下げありき」のレールを敷いてしまったのである。

「ここから下は貧困」と定めるライン

 生活保護の基準は生活保護法第8条1項において、厚生労働大臣が定めるとされている。そのため、読者の中には、その時々の大臣が政治的な判断によって生活保護基準を変動させて、何が悪いのか、と考える人もいるかもしれない。

 だが、人々が生活に困窮した際の最後のセーフティネットである生活保護の基準は、「社会保障の岩盤」とも呼ばれ、他の貧困対策の対象範囲を決める際の参照基準ともなっている。例えば、貧困家庭の子どもへの学用品代や修学旅行費などの補助として、地方自治体によって支給されている就学援助の所得制限の基準は、生活保護基準の1.0倍から1.3倍に設定されている地域が多い。これは、生活保護基準が「ここから下になったら、国による支援を必要とする貧困状態である」という一線を指し示す「貧困ライン」でもあるからだ。

 時の政権や政治状況によって「貧困ライン」が変動すると、◯◯党政権において「支援すべき貧困状態にある」とされた人が、××政権に政権交代したら支援対象から外れてしまうということが起こってしまう。

 憲法25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」という生存権規定があるが、「健康で文化的な最低限度の生活」をおくるためには当然、一定程度の経済力が必要になる。その境目を決めるラインを政権が勝手に動かせることができてしまえば、いくらでも解釈改憲が可能になってしまう。そのため、生活保護の基準は専門家の議論を踏まえて決めることになっているのだ。

 その意味で、2013年1月の田村厚労相による生活保護基準の引き下げは、「政治によって行政が歪められた」例であると言えるのだ。

「政治的色彩の混入」は避けるべきという立案担当者の警告

拡大口頭弁論後の報告集会で発言する白木敦士弁護士。右は原告弁護団団長の宇都宮健児弁護士
 2013年度からの生活保護基準引き下げについては、現在、全国29の都道府県で引き下げの違憲性を問う国家賠償請求訴訟が行われている。そのうちの一つ、東京での国賠訴訟では、今年7月19日、原告弁護団の事務局長である白木敦士弁護士が東京地裁での第5回口頭弁論において意見陳述をおこなった。

 白木弁護士は、冒頭、行政事件訴訟法第30条の「行政庁の裁量処分については、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合に限り、裁判所は、その処分を取り消すことができる。」との条文を示し、2013年度からの生活保護基準の引き下げは、裁量権の範囲をこえた濫用にあたると断言した。

 その上で、現行の生活保護法の立法過程をさかのぼり、1950年に生活保護法が制定された時点において、時の政権が政治的思惑によって基準を決めてしまうという危険性が懸念されていたと指摘。

 白木弁護士は、当時、厚生省の社会局保護課長として生活保護法を立案した小山進次郎が、その著書『生活保護法の解釈と運用』で記述している以下の文章を法廷で読み上げた。小山氏が国会審議において生活保護基準に関する厚生省の方針をどのように説明したのか、を述べている箇所である。

「厚生省当局側としては、保護の基準は飽く迄合理的な基礎資料によって算定さるべく、その決定に当り政治的色彩の混入することは厳に避けらるべきこと、及び合理的な基礎資料は社会保障制度審議会の最低生活水準に関する調査研究の完了によって得らるべきことを説明し、且つ、社会事業審議会に部会を設け実際の運用に当りその趣旨を生かすことを言明して了解を得た次第である」

 この『生活保護法の解釈と運用』は生活保護のバイブルとも言われる本だが、その中で小山氏は、生活保護基準は「合理的な基礎資料」をもとに算定されるべきで、「政治的色彩の混入」はあってはならないと釘を刺している。そのため、 ・・・続きを読む
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筆者

稲葉剛

稲葉剛(いなば・つよし) 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任准教授

一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事。住まいの貧困に取り組むネットワーク世話人。生活保護問題対策全国会議幹事。 1969年広島県生まれ。1994年より路上生活者の支援活動に関わる。2001年、自立生活サポートセンター・もやいを設立。幅広い生活困窮者への相談・支援活動を展開し、2014年まで理事長を務める。2014年、つくろい東京ファンドを設立し、空き家を活用した低所得者への住宅支援事業に取り組む。著書に『貧困の現場から社会を変える』(堀之内出版)、『鵺の鳴く夜を正しく恐れるために』(エディマン/新宿書房)、『生活保護から考える』(岩波新書)等。

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