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[8]日本の貧困対策はガラパゴス化へ進むのか?

「福祉の死角地帯」解消に乗り出す韓国と比較する

稲葉剛 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任准教授

韓国社会に衝撃を与えた松坡三母娘自殺事件

 2014年2月26日、ソウル市松坡(ソンパ)区にある半地下の居室で、61歳の母親と30代の2人の娘が白い封筒に入れた5万ウォン札14枚を残したまま自死する事件が発生した。三人の母娘は12年前に父親がガンで亡くなり、父親の医療費などの借金の返済や長女の病気、家計を支えていた母親のけがなどのため、生活に困窮していたが、福祉制度にはつながっていなかった。残された封筒には、「家主のおばさんには申し訳ありません。最後の家賃と公共料金です。本当に申し訳ありません」と書かれていたという。

 この「松坡三母娘自殺事件」は政府の貧弱な福祉政策が招いた社会的な殺人だとして、韓国の社会運動団体は「福祉の死角地帯」の解消をスローガンに大規模なキャンペーンを開始した。

 朴槿恵(パク・クネ)政権と与党は、日本の生活保護法にあたる国民基礎生活保障法の改正など一連の法改正を行い、これに「松坡三母娘法」という名前をつけて、福祉制度につながらない生活困窮者の数を減少させるという方針を示した。

 法改正の柱は、これまで生活困窮者に対して生活扶助、住宅扶助、教育扶助などがパッケージとして支給されていた給付を、扶助ごとに選定基準や給付水準を設定する個別給付方式に変更するというものである。これに応じて、各扶助の予算も保健福祉部が一括して管轄するのではなく、扶助の種類ごとに国土交通部、教育部などに移管された。この「連携型個別給付」方式は、2015年7月から導入され、その結果、2014年に133万人まで減少していた利用者数が2015年には165万人まで増加した。

 日本の生活保護制度もパッケージ方式を取っているが、利用しやすくするために個別給付方式に転換した方が良いと主張する論者も少なくない。韓国の経験は日本の生活保護制度のあり方にも示唆を与えるだろう。

厳しすぎる韓国の扶養義務

拡大家賃が重荷で車上生活をしていた男性。生活保護を受けて1年半ぶりにアパートを借り、再出発した=さいたま市
 だが、韓国の社会運動団体が最も問題視していたのは、日本以上に厳しい親族の扶養義務が福祉制度の利用を妨げているという点であった。

 日本では、「民法 (明治二十九年法律第八十九号)に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする。」という生活保護法4条2項の規定に基づき、親族の扶養が生活保護に「優先」すると定められている。

 これは、生活保護の利用者に対して、親族から仕送りなどの援助が行われた場合は、その金額を収入認定し、その分、保護費を減額するということを意味している。この規定に基づき、各地方自治体の福祉事務所は、保護の利用者の親族(通常は二親等以内、特別な事情があれば、三親等以内)に援助が可能かどうかを問い合わせる「扶養照会」を行っている。

 誤解をされることが多いが、日本の場合、扶養は生活保護の「要件」ではない。扶養照会も過去にDVや虐待などの問題があったり、長期間、親族との交流がない場合は実施しないという運用になっている。2012年には、高額所得者である芸能人の母親が生活保護を利用していることが「不正受給」だとしてテレビや週刊誌でバッシングを受けたが、あのケースでも、福祉事務所は「扶養照会」を実施しており、法的には全く問題はない。「不正受給」という批判は事実に反するものであったと言えよう。

 ところが、韓国の制度では親族が一定の所得・財産の基準を超えていると、生活困窮者は原則として給付を受けられない仕組みになっている。当初、扶養義務を負う親族の範囲は二親等以内の血族とされたものの、広すぎるという批判を浴び、現在は一親等の直系血族とその配偶者とされている。

 このような制度を運用するためには、制度の申請者のみならず、その家族の所得や財産を捕捉し、審査する仕組みが必要になる。そのため、韓国では2010年から国民の個人情報を一括管理する「社会福祉統合管理網」が導入された。これは日本のマイナンバー制度をさらに強力にした仕組みだと言えよう。

 「管理網」の情報を活用することで扶養義務者の所得や財産を調査し、基準オーバーが見つかると制度の利用を停止するという運用は、当然、「福祉の死角地帯」を拡大させた。受給権を剥奪された高齢者が生活に行き詰まって、自死をするケースも発生し、大きな反発を招くことになった。

 2015年の国民基礎生活保障法の改正では、教育給付の選定基準から扶養義務者基準がなくなり、他の給付では扶養義務者の扶養能力判断基準が以前より緩和された。しかし、運動団体側は扶養義務者基準の完全廃止を求めて、キャンペーンを継続した。

文在寅政権の福祉改革

 朴槿恵大統領の退陣に伴う2017年5月の大統領選挙でも、「福祉の死角地帯の解消」は争点となった。扶養義務者基準の廃止を公約にした文在寅(ムン・ジェイン)氏が当選したことを受け、社会運動団体は具体的な廃止計画を発表することを要求した。

 文在寅政権は、今年8月、「第1次基礎生活保障総合計画」を発表し、「福祉の死角地帯」に置かれた生活困窮者を計画的に減らしていくと明らかにした。まず今年11月から、利用者・扶養義務者世帯の両方に高齢者や重度の障害者の構成員がいる場合は扶養義務者の基準を適用しないとの制度変更を行い、その後も段階的に扶養義務者の基準を廃止していくとしている。これに加え、 ・・・続きを読む
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筆者

稲葉剛

稲葉剛(いなば・つよし) 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任准教授

一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事。住まいの貧困に取り組むネットワーク世話人。生活保護問題対策全国会議幹事。 1969年広島県生まれ。1994年より路上生活者の支援活動に関わる。2001年、自立生活サポートセンター・もやいを設立。幅広い生活困窮者への相談・支援活動を展開し、2014年まで理事長を務める。2014年、つくろい東京ファンドを設立し、空き家を活用した低所得者への住宅支援事業に取り組む。著書に『貧困の現場から社会を変える』(堀之内出版)、『鵺の鳴く夜を正しく恐れるために』(エディマン/新宿書房)、『生活保護から考える』(岩波新書)等。

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