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ジョホールバルの歓喜から20年の日本サッカー界

サッカー・ワールドカップロシア大会の全出場国32カ国が決定

増島みどり スポーツライター

W杯フランス大会アジア第3代表決定戦で決勝ゴールを決めた岡野(14)を迎える岡田監督(左端)=1997年11月16日、マレーシア・ジョホールバル拡大W杯フランス大会アジア第3代表決定戦で決勝ゴールを決めた岡野(14)を迎える岡田監督(左端)=1997年11月16日、マレーシア・ジョホールバル
 サッカー界にとっては歴史的記念日ともいえる「ジョホールバルの歓喜」からちょうど20年となった11月16日、日本サッカー協会でのイベントは特になく、関係者、選手がその日を意識するようなコメントが出るわけでもなかった。

  1997年11月16日、マレーシアのジョホールバルで98年W杯フランス大会アジアの第3代表をかけ日本とイランが118分もの激闘を繰り広げた。先制し、同点にされ、さらに逆転される苦しい展開のなか同点に追いつき延長へ。延長後半13分、当時採用されていたVゴール方式で岡野雅行が決め、日本代表初のW杯出場の扉がついに開かれた試合である。

  あえて書かなければならない状態はむしろ大歓迎すべきだろう。日本が実に最後から2番目の国(32カ国出場)として出場を決めるような困難など知らない、そんな事態とはもう無縁になったという証なのだから。

  激闘の重さは、今も選手たちの皮膚感覚にまで沁みこんでいるかのようだ。取材でも試合を118分間見直している、と振り返る選手は不思議なほどほとんどいなかった。磐田の名波浩監督(44)が見直したのは今年に入って、しかもサッカーをする長男との会話からだった。こう話している。

  1試合の中であれほど心が揺さぶられ、感情の起伏が激しかったゲームを経験していない。いい試合だとは思っていたが、息子の言葉がなければ見ないままだったかもしれない」

  やはり監督となった町田の相馬直樹監督(46)もまた、同じように言う。

  「自分の頭にある映像を、実際の映像によって変えてしまいたくなかったのだと思う」

  観なかったからこそ、映像も、記憶も、また思いも深く心に刻まれ続けているという意味だ。主将だった、福岡の井原正巳監督(50)、日本サッカー協会技術委員となった山口素弘氏(48)は「この20年間、あの体験より辛いことはなかった」と振り返る。

  岡田武史監督、試合に出場したメンバー、サブだった選手、ベンチに入らなかった選手、スタッフ、全員で勝ち取ったW杯初出場の切符は特別なものだった。当時の思いが彼らのなかでどう刻まれたのか ・・・続きを読む
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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

スポーツライター。1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

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