アジアクラブNo.1達成は節目の日本サッカー界に弾みをもたらす
2017年11月29日
2007年、10年前の優勝を経験していた主将・阿部勇樹も男泣きした。当時を知る選手ももはや阿部と平川忠亮の2人のみ。阿部はジェフから移籍まもなくだったため「あの頃は何もしていなかった」と振り返る。移籍してから再びアジアクラブの頂点に立つまでの阿部の10年は、そのまま浦和苦闘の10年といえるかもしれない。
「本当に色々あったシーズン。苦しい試合ばかりの今大会で、全員が1試合ずつ集中し勝ちを掴み、立ち直った結果だと思う」
主将を任され、堀孝史監督に代わってからはセンターバックに入って堅守をまとめた。36歳のコメントは決して華々しくはなかったが、苦労の分だけ充実感の漂う、穏やかな笑顔を浮かべた。
6期目に突入したミハイロ・ペトロヴィッチ監督のもと始まった今季は、クラブの歴史を変えるような波乱のシーズンとなった。5月、鹿島とのホームではDF森脇良太が相手選手に差別的発言をピッチで浴びせたのではないか、と、Jリーグから2試合の停止処分を受けた。こうしたブレーキはチーム状態に影響した。12試合で15失点、監督の采配も低迷し8位でついに解任された。
コーチから昇格した堀監督も苦戦しながら、システムを変更するなど少しずつチームを立て直した。しかし1人の監督が6期もの長期政権を敷いたなかでチームを停滞させた理由は、ピッチでのシステムだけではなかった。
選手起用をほぼ「固定化」するスタイルだったぺトロヴィッチ監督に対し、堀監督は日々の練習でのパフォーマンスを最重要視。監督は、今季は優勝の可能性を失ったリーグ戦、カップ戦ではなく、しぶとく勝ち抜いたACLを巧みに使いチームを活性化するのに成功したようだ。阿部主将が、クラブの浮き沈みの象徴ならば、ペトロヴィッチ指揮下では大きなチャンスをほとんど与えられなかった長沢和輝は、立て直し、新生を目指すクラブのシンボル的存在だろう。
ACL準決勝、中国の強豪、上海上港との第1戦目でスタメンに抜擢され、フィジカルの強さで一躍注目を浴び、それは日本代表監督、ハリルホジッチ監督さえ動かした。11月の欧州遠征2試合を戦った日本代表にまで一気に駆け上がった。
「自分のストーリーとしては出来すぎです」
長沢は照れくさそうに優勝タイトルを噛みしめた。
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