メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

浦和レッズがACLで10年ぶりに優勝した価値

アジアクラブNo.1達成は節目の日本サッカー界に弾みをもたらす

増島みどり スポーツライター

アルヒラル戦後半、体を張ってシュートを止める阿部(22)、青木(16)ら=2017年11月25日、埼玉スタジアム2002拡大アルヒラル戦後半、体を張ってシュートを止める阿部(22)、青木(16)ら=2017年11月25日、埼玉スタジアム2002
 アウェーで行われたアルヒラル(サウジアラビア)との決勝第1戦目で1点を奪って引き分け(1-1)とした浦和は、2戦目を無得点で引き分けても優勝できる優位な展開に持ち込んでいた。スコアレスドローでの優勝決定かと思われた後半43分、ラファエル・シルバが、中盤で武藤雄樹が奪ったボールを鮮やかなターンでDFを置き去りにしてシュート。シルバにとって今大会9得点目が10年ぶりのACL、57727人が詰めかけた埼玉スタジアムに凄まじい地鳴りと熱狂を巻き起こした。右足首痛で不安はあったが、「アドレナリンを100%保ってプレーした」と、涙を流し喜びを噛みしめる。

  2007年、10年前の優勝を経験していた主将・阿部勇樹も男泣きした。当時を知る選手ももはや阿部と平川忠亮の2人のみ。阿部はジェフから移籍まもなくだったため「あの頃は何もしていなかった」と振り返る。移籍してから再びアジアクラブの頂点に立つまでの阿部の10年は、そのまま浦和苦闘の10年といえるかもしれない。

  「本当に色々あったシーズン。苦しい試合ばかりの今大会で、全員が1試合ずつ集中し勝ちを掴み、立ち直った結果だと思う」

  主将を任され、堀孝史監督に代わってからはセンターバックに入って堅守をまとめた。36歳のコメントは決して華々しくはなかったが、苦労の分だけ充実感の漂う、穏やかな笑顔を浮かべた。

  6期目に突入したミハイロ・ペトロヴィッチ監督のもと始まった今季は、クラブの歴史を変えるような波乱のシーズンとなった。5月、鹿島とのホームではDF森脇良太が相手選手に差別的発言をピッチで浴びせたのではないか、と、Jリーグから2試合の停止処分を受けた。こうしたブレーキはチーム状態に影響した。12試合で15失点、監督の采配も低迷し8位でついに解任された。

固定から競争でチームを変えた堀監督のマネージメント

  コーチから昇格した堀監督も苦戦しながら、システムを変更するなど少しずつチームを立て直した。しかし1人の監督が6期もの長期政権を敷いたなかでチームを停滞させた理由は、ピッチでのシステムだけではなかった。

  選手起用をほぼ「固定化」するスタイルだったぺトロヴィッチ監督に対し、堀監督は日々の練習でのパフォーマンスを最重要視。監督は、今季は優勝の可能性を失ったリーグ戦、カップ戦ではなく、しぶとく勝ち抜いたACLを巧みに使いチームを活性化するのに成功したようだ。阿部主将が、クラブの浮き沈みの象徴ならば、ペトロヴィッチ指揮下では大きなチャンスをほとんど与えられなかった長沢和輝は、立て直し、新生を目指すクラブのシンボル的存在だろう。

  ACL準決勝、中国の強豪、上海上港との第1戦目でスタメンに抜擢され、フィジカルの強さで一躍注目を浴び、それは日本代表監督、ハリルホジッチ監督さえ動かした。11月の欧州遠征2試合を戦った日本代表にまで一気に駆け上がった。

  「自分のストーリーとしては出来すぎです」

  長沢は照れくさそうに優勝タイトルを噛みしめた。

  ・・・続きを読む
(残り:約1196文字/本文:約2511文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
デモクラシーやJournalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

スポーツライター。1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

増島みどりの新着記事

もっと見る