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おとなの音楽空間を紡ぎ上げる京都のライブハウス

若手から名だたるアーティストまで集める「都雅都雅」の魅力

薄雲鈴代 ライター

ライブハウス「都雅都雅」でのワンマンライブが10周年となった安田仁さん=2017年9月25日、京都市下京区ライブハウス「都雅都雅」でのワンマンライブが10周年となった安田仁さん=2017年9月25日、京都市下京区
 ある日、13歳の少年がビートルズの『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』のミュージッククリップを目にした。サイケ調の幻影的な色彩の中から、メロトロンのせつない調べが流れてきて、彼の音楽人生が始まった。

  京都在住のミュージシャン安田仁さんがそうである。

  ライブハウス都雅都雅で、毎月最終月曜日恒例のワンマンライブを始めて10年になる。2018年2月26日で125回目を迎える。

  ビートルズに魅せられて、初めてギターを手にし、バンドを組んで音楽に夢中になった人は世界中にあふれている。青春期の通過儀礼ともいえる。大抵の人は、ひととき情熱を傾けたとしても、いつしか音楽から遠ざかり、大好きだったギターも物置の隅に埃をかぶって忘れ去られるのが常である。

  しかし、安田さんにとって音楽はかけがえのないもの、いまはむかしの夢にはならなかった。とは言っても、‘好き’だけで続けられる世界ではない。大好きな音楽を糧に食べていける人は、ほんの一握りだ。安田さんはプロのミュージシャンの厳しさを子どもの頃から身に沁みてわかっていた。なぜなら、父親(原こうじ氏)が、メジャーの演歌歌手であったからである。

  「子どもの贔屓眼ではなく、父はほんとうにすごいです。歌がうまい。その父の姿を身近に見てきただけに、メジャーの歌手がいかに大変かわかっているので‘音楽の道で生きていきたい’なんて容易には言えなかった」と安田さんは語る。

  それでも曲を作り、みずから演奏し歌いつづけることを止(や)めることはできなかった。

育む眼がある京都の音楽シーン

  理屈ではなく‘音楽が好き’という安田仁さんの直向きさを見つめる眼があった。都雅都雅のオーナー広瀬弘行さんである。

  広瀬さんは、安田仁が作りだす音の世界、そのポップス性に注目した。

  「ライブを続けていくなかで、お客さんの多い時も少ない時もある、制作意欲が湧くときもそうでないときも、メンタルバランスを維持して、腰の折れることなく励みにしてきてくれたことが、とても嬉しいですね」と広瀬さんは語る。

  92年12月にオープンした都雅都雅は

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