日々の食材求める地元客離れ 土地の文化の存続を考える時期に来ている
2018年03月05日
「初めて訪れる場所では、まず市場と博物館をめぐる」とは文化人類学者の中沢新一の言葉である。市場というのは、その土地の恵みと暮らす人々の食文化をうかがい知ることができる。つまり、その場所を理解することに通じるわけだ。
過日、京都でのこと。生麩の老舗『麩嘉』の旦那である小堀周一郎さんからこんな話を聞いた。「錦市場の店舗の業績が芳しくない。閉店も視野に入れて今後を考えている」と。
錦市場といえば、ご存知京都の中心・錦小路通に店が連なる市場である。その歴史は約400年前、江戸時代の魚市場を発端とするという。昭和2年に京都中央卸売市場ができたことで、それまでの鮮魚市場から多様な食材が揃う形へと変化していったが、長きにわたって京都の人々の暮らしを支える台所である。
しかし近年、この錦市場で昔から商いをする店舗たちの多くが『麩嘉』の店のように厳しい状況となっているのだという。
これはもう錦市場の風物詩のようになっているが、四六時中ラッシュアワーの駅のような、ひしめき合う人たちの多くは観光客であり、観光客というのは(良い悪いは別にして)市場で食材を調達するのが目的というよりも、ブラブラとひやかしながらその雰囲気を楽しむものである。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください