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今後30年間の地震発生確率が70~80%に

拡大昭和の東南海地震の津波で被災した三重県尾鷲市内=太田金典さん撮影、同市提供
 2月9日に、政府・地震調査研究推進本部から、今年1月1日現在の地震発生確率の長期評価が報告され、今後30年間に南海トラフ地震が発生する確率が「70~80%」に見直された。80%と聞くと多くの人はドキッとするだろう。この地震発生確率は、時間予測モデルによって求められている。

 時間予測モデルとは、次の地震までの発生間隔と前回の地震のすべり量が比例するという考え方である。1回前の昭和の南海トラフ地震が小粒だったため、次の地震は比較的早く発生すると予想されている。

 ただし、最近になって、2回前に発生した安政地震と昭和地震とは震源域を棲み分けており地震発生間隔はもっと長いとか、地震の発生の仕方は多様でランダムに起きると考えるべきだとかの議論もある。この場合には発生確率はもっと小さくなる。とは言え、いずれ確実に起きる地震であることには変わりない。

 建築耐震工学を学んだ身としては、耐震工学の先達・佐野利器が述べた「諸君、建築技術は地震現象を説明する学問ではない。現象理法が明でも不明でも、これに対抗するの実技である。建築界には、百年もの間河の清きを待つ余裕を有しない」(耐震構造上の諸説、1926年10月・建築雑誌)の言葉を噛みしめたい。

南海トラフ地震とは

 南海トラフ地震は、南海トラフで起きる地震の総称である。南海トラフは、駿河湾から四国沖にかけて存在する深さ4000m級の溝状の地形のことを言い、海洋プレートのフィリピン海プレートが大陸プレートのユーラシアプレートに衝突して沈み込む場所に当たる。南海トラフの東端の駿河湾のエリアは駿河トラフとも呼ばれる。ちなみにトラフとは海底の細長いくぼ地で、海溝ほど深くない深さ6000m程度以下の舟状海盆のことを言う。

 過去の南海トラフ地震では、南海トラフ全体が一度に活動する場合(宝永地震)と、東と西が分かれて活動する場合(安政地震)、一部が活動しない場合(昭和地震)があり、地震の発生の仕方に多様性がある。地震の呼称についても、紀伊半島より東で起きる地震を東海地震、西側で起きる地震を南海地震と呼ぶこともあれば、紀伊半島から御前崎で起きる地震を東南海地震、駿河トラフで起きる地震を東海地震と呼ぶこともあり、やや混乱している。

過去の南海トラフ地震

 南海トラフの地震の候補としては、古文書などの記録から、684年白鳳地震、887年仁和地震、1096年永長地震・1099年康和地震、1361年正平地震、1498年明応地震、1605年慶長地震、1707年宝永地震、1854年安政地震、1944/1946年昭和地震が挙げられている。ただし、慶長地震は揺れによる被害記録が少なく津波地震だったと解釈されており、南海トラフ地震とは異なるとの意見もある。

 このように過去の活動履歴が分かっている場所は、世界でもまれである。南海トラフ地震であることは、京都での強い揺れ、高知(土佐)での地盤沈下による浸水、津波、道後温泉(伊予)などの湧出停止の記載などの記述に基づいて判断されてきた。

 とは言え、古文書に記された各地の被害の様子から震源域が推定されているに過ぎないので、資料の地域的偏りもあり、震源域の不確かさは否めない。また、欠落した地震が存在する可能性もある。このため、遺跡発掘調査で見つかる液状化跡なども参考にされて判断されている。また、古文書がない更に古い時代については、地盤内に残る津波堆積物などから活動時期が推定されている。

日本書紀に残る白鳳地震の記述

 684年11月26日(ユリウス暦)に起きた白鳳地震については、日本書紀の巻第二十九に、「天武天皇十三年冬十月 壬辰。逮于人定、大地震。挙国男女叺唱、不知東西。則山崩河涌。諸国郡官舍及百姓倉屋。寺塔。神社。破壌之類、不可勝数。由是人民及六畜多死傷之。時伊予湯泉没而不出。土左国田苑五十余万頃。没為海。古老曰。若是地動未曾有也。是夕。有鳴声。如鼓聞于東方。有人曰。伊豆嶋西北二面。自然増益三百余丈。更為一嶋。則如鼓音者。神造是嶋響也。」の記述がある。揺れによる被害、温泉、地殻変動などの記述があり、他の箇所に津波についても触れられている。

日本三代実録に残る仁和地震の記述

 887年8月22日(ユリウス暦)に起きた仁和地震についても、日本三代実録に、「卅日辛丑、申時、地大震動、経歴数剋震猶不止、天皇出仁寿殿、御紫宸殿南庭、命大蔵省、立七丈幄二、為御在所、諸司倉屋及東西京廬舎、往往顛覆、圧殺者衆、或有失神頓死者、亥時又震三度、五畿内七道諸国、同日大震、官舎多損、海潮漲陸、溺死者不可勝計、其中摂津国尤甚、夜中東西有声、如雷者二、」と記されている。宮中の様子が描かれると共に、 ・・・続きを読む
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筆者

福和 伸夫

福和 伸夫(ふくわ・のぶお) 名古屋大学減災連携研究センター長・教授

1957年に名古屋に生まれ、81年に名古屋大学大学院を修了した後、10年間、民間建設会社にて耐震研究に従事、その後、名古屋大学に異動し、工学部助教授、同先端技術共同研究センター教授、環境学研究科教授を経て、2012年より現職。建築耐震工学や地震工学に関する教育・研究の傍ら、減災活動を実践している。とくに、南海トラフ地震などの巨大災害の軽減のため、地域の産・官・学・民がホンキになり、その総力を結集することで災害を克服するよう、減災連携研究センターの設立、減災館の建設、あいち・なごや強靭化共創センターの創設などに力を注いでいる。

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