大相撲取材で親方に押し出された体験、伝統の祭でも「不浄の者」の看板を撤廃
2018年05月02日
大相撲の春巡業で、土俵上であいさつしていた京都府舞鶴市長が倒れ、とっさに土俵に上がって心臓マッサージを始めた女性たちに向かって、「女性の方は土俵から下りてください」と何度も会場でアナウンスがあった問題。さまざまな批判を受け、日本相撲協会は土俵の女人禁制について検討を進めていく方針を決めたと報じられました。単なるポーズではなく、誠意を持っての心からの検討になることを祈るばかりです。
新聞記者になり、社会部に来てまもなくの1990年代初頭のころは、貴花田(その後貴乃花)と曙らが台頭し、国技館は連日満員御礼となっていました。その盛り上がりを、先輩の男性記者と国技館に取材に行くよう命じられました。取材には顔写真を持参して、国技館で取材証を発行してもらい、それを首にかけて取材しました。大好きな相撲に関連しての取材ですから、喜んで足を運びました。
観客の邪魔にならないようにと、花道とは別の通路の端に立ち、土俵上の相撲を見ながら、館内の様子を観察していました。取り組みが全部終わってから観客の話をうかがう予定でした。ところが、通路に立っていると、なぜか後ろからすごい圧力でだれかが押してきます。振り向くと、引退した力士と思われる親方が、大きなおなかで私の背中を押し、通路から押し出そうとするのです。土俵上でもないのに、なぜ? 親方の意図がわかりませんでした。
たまらず私は振り向きながら、「すみません。取材証をもっているんですけど・・・。取材の許可を受けていますが」と言いました。ですが、親方はこちらには目もくれず、何も言わずに、ずんずんと押してきます。思い余って私は「あなたのお名前を教えてください」と言いましたが、返事はなく、私はそのまま、通路の外に押し出されました。問答無用の押し出しです。
「女性だから?」。そんな思いが浮かびました。その後、観客の話を何とかとって原稿を送りましたが、何とも後味の悪い取材になりました。一緒に行った男性先輩記者は理事長のところで取材をしていましたが、「女性の大久保さんはこちらに来なくてよかったよ」と言われました。具体的に何があったのかはよく知りませんが、20年に及ぶ私の大相撲熱は一気に冷めてしまいました。あんなに大相撲が好きだっただけに、落胆は大きなものでした。
福岡の初夏を彩る「博多祇園山笠」。780年近い歴史をもつ男性による祭りです。締め込み姿の男性たちが山を舁(か)きながら、街を走り抜けます。福岡に赴任して初めての夏に、この祭りを見ました。2002年のことです。張り詰めた空気、男たちの真剣な表情、勇壮な走りとかけ声に魅了されました。神聖さを感じ、「男に生まれたかった」と思うほどで、女性が立ち入ることはできない世界だなと素直に思いました。
この祭りには、山の舁き手の詰め所などには「不浄の者立ち入るべからず」という看板がかけられてきたという歴史がありました。祭りの素晴らしさを感じ、女性が入る余地のない祭りであると感じながらも、この看板の件だけはひっかかりました。そんなことも含めて、私なりに記事を書けないだろうかと思いました。
それまでは男性記者が締め込みをして一緒に走るという体験をしながら、毎年、祭りの記事を書いてきました。私は、そんな形で祭りに参加することはできません。ですが、祭りは男性たちだけで成り立っているわけではありません。女性たちは「ごりょんさん」と呼ばれ、直会の準備や祭りにのぼせる男衆に代わってその間は店を切り盛りするなど、裏方を支えていました。そこで、男の祭りを、女たちはどんな思いで、見つめ、支えてきたかを伝えようと、翌2003年の春先から取材を始めました。
すぐに祭りを運営する博多祇園山笠振興会の会長のところに行き、今年の担当になったことを告げ、祭りのことを聞くと同時に、「不浄の者立ち入るべからず」の看板についての質問をしました。「男たちの素晴らしい祭りだけれど、そんな看板を出すのは時代遅れではないか」と指摘をすると、会長は苦虫をかみ潰したような顔をしていました。明らかにこの話題を持ち出されるのは嫌がっていました。そうこうするうちに、6月に入り、博多祇園山笠振興会が総会で、「不浄の者立ち入るべからず」の看板を正式に撤去することを決めました。
さらに、
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