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拡大噴煙を上げる硫黄山(手前)。奥は活動を続ける新燃岳=4月19日、宮崎・鹿児島県境の霧島連山
 今年になって、1月23日に草津白根山が突然噴火し、3月1日に霧島連山の新燃岳が噴火、4月9日に島根西部の地震が起き、4月19日には新燃岳の隣にある硫黄山が噴火した。1995年兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)以降、2004年新潟県中越地震、2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)、2016年熊本地震など、多くの犠牲者を出す被害地震が続いている。九州や東北地方の噴火活動も活発だ。その一方で、首都直下地震や南海トラフ地震、富士山の噴火などの発生が心配されている。

 近年の地震や火山の発生の様子が、1150年前の平安中期に似ているとの指摘がある。この時代、多くの地震や火山噴火が起き、その他にも様々な災いがあった。そこで、少し、当時を振り返ってみる。

東日本大震災と類似した貞観地震

 貞観11年、西暦869年に、2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)と類似した貞観地震が発生した。六国史の最後の国史・日本三代実録には、被災地・多賀城周辺の津波の様子が克明に記されている。

 「貞観十一年五月廿六日癸未。陸奥国地大震動。流光如昼隠映。頃之。人民叫呼。伏不能起。或屋仆圧死。或地裂埋殆。馬牛駭奔。或相昇踏。城郭倉庫。門櫓墻壁。頽落顚覆。不知其数。海口哮吼。声似雷霆。驚濤涌潮。泝徊漲長。忽至城下。去海数十〔千〕百里。浩々不弁其涯涘。原野道路。惣為滄溟。乗船不遑。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遺焉。」

 被害の様子を現代語訳すると、「貞観11年5月26日、陸奥の国で大地震があった。昼のような光が流れて、光ったり陰ったりした。しばらくして、一般の人たちは大声を出し、地面に伏して起き上がることができなかった。あるものは家が倒れて圧死した。あるものは地面が割れてその中に落ち埋まって死んだ。馬や牛は驚いて走り、あるものは互に昇って足踏みした。城郭や倉庫、門・櫓・土塀・壁が崩れ落ちたり転倒したりしたが、その数は数え切れないほど多い。海では雷のような大きな音がして、物凄い波が来て陸に上った。その波は河を逆上ってたちまち城下まで来た。海から数千百里の間は広々した海となり、そのはてはわからなくなった。原や野や道はすべて青海原となった。人々は船に乗り込む間がなく、山に上ることもできなかった。溺死者は千人ほどとなった。人々の財産や稲の苗は流されてほとんど残らなかった。」(吉田東伍:貞観十一年陸奥府城の震動洪溢、歴史地理、8巻12号、1906)となる。東日本大震災のときにテレビを通して見た光景と重なる。

 多賀城は、律令時代に陸奥国に設置された国府で、蝦夷討伐の最前線基地だった。724年に多賀城が作られるまでは、郡山遺跡(現在の仙台市太白区)に国府があった。飯沼勇義(仙台平野の歴史津波、宝文堂、1995)によると、700年ごろにあった津波災害の後に、都から鬼門の方向にあった郡山から多賀城に国府を移動したと言う。多賀城は、朝鮮に備えた大宰府と共に、我が国の最重要拠点の一つだった。このため、東北での震災の様子が遠く離れた京まで伝わり、国史に記述されたらしい。津波犠牲者が1,000人と記されているが、当時の日本の人口は現在の1/20程度と考えられ、人口比で換算すると東日本大震災の犠牲者数に匹敵する。ちなみに、東日本大震災での多賀城市内(人口約6万人)での死者は約200人だった。

 この地震の後、京都で被災地の地名を歌枕にした2首の和歌が詠まれた。清少納言の父・清原元輔が後拾遺和歌集で詠んだ
 「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪越さじとは」
と、二条院讃岐が千載和歌集で詠んだ
 「わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし」
である。この2首は小倉百人一首の中にあるので知っている人は多いと思う。いずれの歌も恋の歌と言われていたが、東日本大震災では「末の松山」は津波が越さず、一方、「沖の石」は津波に浸かった。和歌を通して、津波被害のメッセージを後世に伝えたようにも感じられる。

様々な災いが続いた9世紀後半

 貞観地震が起きた9世後半は、様々な災いが続いた時代だった。869年貞観地震に先立つ863年に越中・越後で地震が発生、 ・・・続きを読む
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筆者

福和 伸夫

福和 伸夫(ふくわ・のぶお) 名古屋大学減災連携研究センター長・教授

1957年に名古屋に生まれ、81年に名古屋大学大学院を修了した後、10年間、民間建設会社にて耐震研究に従事、その後、名古屋大学に異動し、工学部助教授、同先端技術共同研究センター教授、環境学研究科教授を経て、2012年より現職。建築耐震工学や地震工学に関する教育・研究の傍ら、減災活動を実践している。とくに、南海トラフ地震などの巨大災害の軽減のため、地域の産・官・学・民がホンキになり、その総力を結集することで災害を克服するよう、減災連携研究センターの設立、減災館の建設、あいち・なごや強靭化共創センターの創設などに力を注いでいる。

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