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高橋大輔の競技復帰は、最高のタイミングだ

ルール改正は有利。表現力を国際ジャッジに評価されてほしい

田村明子 ノンフィクションライター、翻訳家

高橋大輔拡大2010年バンクーバー五輪で銅メダル、世界選手権でも優勝、「日本のエース」として活躍した高橋大輔=2014年

 7月1日、世界中のスケート関係者があっと驚くニュースが流れた。高橋大輔(32)、競技復帰宣言である。

 高橋が正式に競技引退宣言をしたのは2014年10月だった。最後に出場したのはその8カ月前のソチオリンピックなので、競技復帰は4年と数カ月ぶりとなる。

 高橋はソチオリンピックシーズン終了後、1年間の休養宣言をしていた。身体的に落ち着いたらいったん競技に戻ってきて、最後の舞台を華々しく見せてくれるだろうと思っていただけに、中途半端なタイミングの引退宣言には不意をつかれた。

特別賞男性部門で受賞した高橋大輔さん/第26回日本ジュエリーベストドレッサー賞 201501拡大日本ジュエリーベストドレッサー賞特別賞を受賞して=2015年1月
 だが高橋は「シニアシーズンがはじまるまえに言おうと思った」と、その理由を説明。いったん競技シーズンがはじまったら主役は現役選手たちであり、自分のニュースによって競技に集中している選手たちを動揺させたくないという、いかにも高橋らしい理由だった。

 高橋がジュニアからシニアにあがってきたのは、ソルトレイクシティオリンピックが終了した翌シーズン、2002年の秋のこと。日本の女子が本格的に世界のトップで競い始め、フィギュアといえば女子にばかりスポットライトが当てられてきた。そんな中で高橋は、日本人離れした音楽表現などで高い評価を受け、男子フィギュアに新たな地位を築き上げてきた。

 だがどれほど人気者になっても思い上がったような態度を取ったり、他人を見下すような態度をしたりする高橋大輔を、これまで一度も見たことがない。

 「日本のエース」と長年呼ばれてきたのは、成績だけでなく、後輩たちの模範になるだけの人格を備えていたからこそ、自然についた呼び名だった。

競技復帰の理由

 高橋本人は、2017年の全日本選手権を見て刺激を受けて、現役復帰の思いを高めた、と語ったものの、筆者はその気持ちはもっと以前から芽生えていたのではないかと推測している。 ・・・続きを読む
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筆者

田村明子

田村明子(たむら・あきこ) ノンフィクションライター、翻訳家

盛岡市生まれ。中学卒業後、単身でアメリカ留学。ニューヨークの美大を卒業後、出版社勤務などを経て、ニューヨークを拠点に執筆活動を始める。1993年からフィギュアスケートを取材し、98年の長野冬季五輪では運営委員を務める。著書に、『挑戦者たち――男子フィギュアスケート平昌五輪を超えて』、『パーフェクトプログラム――日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』、『銀盤の軌跡――フィギュアスケート日本 ソチ五輪への道』(ともに新潮社)などスケート関係のほか、『聞き上手の英会話――英語がニガテでもうまくいく!』(KADOKAWA)、『ニューヨーカーに学ぶ軽く見られない英語』(朝日新書)など英会話の著書、訳書多数。

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