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立教大、半世紀ぶりの「箱根駅伝」なるか

中央大エースだった上野裕一郎を監督に。古豪復活へ「青学と奇妙な類似点」も

市川速水 朝日新聞編集委員

箱根駅伝予選会。色とりどりの大学ユニフォームが本戦出場をかけて一斉にスタートした=2018年10月13日、東京都立川市の陸上自衛隊立川駐屯地

「立教箱根駅伝2024」計画

 駅伝ファンなら、「上野裕一郎」と聞いて、平成の中ごろの大学駅伝ブームを思い起こすのではないだろうか。

 2005年から2008年まで4年間、中央大のエース格として箱根、全日本、出雲の三大駅伝のほぼ全大会に出場。どの大会でも一度は区間賞を取り、中央大の上位入賞の定着に貢献した。箱根を初めて走った1年生の時には区間19位と大ブレーキになり、奮起した後の努力が活躍につながるというドラマも語り草だ。次々と前の選手を抜いていく走りから「ごぼう抜きの上野」とも称された。

 また、高校時代は佐久長聖でも活躍し、高校駅伝の名門校の地位を揺るぎないものにした。

 その上野氏が、「立教大学が2024年に箱根駅伝に出場する」という、大学ぐるみの一大プロジェクトで陸上競技部男子駅伝監督に就任した。

 33歳。昨年12月に横浜DeNAランニングクラブの選手からスカウトされ、半年余たった2019年7月13日、地元・長野県の上田市で開かれた立教大OB・OG(校友会)の集いで、郭洋春(カク・ヤンチュン)・立教大総長(60)とともに初めて同窓生100人以上を前に熱く抱負を語った。

 郭総長「体育会の部長(や監督)は、卒業生がなることが多い。でも51年間、箱根に出ていないとなると、ほとんど初めての経験。外から(人材を)お借りして新しい風、新しい考え方を採り入れることが出場に結びつくのではないかと…。いい方がいると聞いて、ダメ元でお声をかけた」
 上野監督「総長と最初にお会いした時にはものすごく緊張しましたが、ゼロからのスタート、ゼロから(チームを)作らせていただけるとおっしゃっていただき、これ以上の幸せはないと…。箱根出場を断言するとウソになってしまうのですが、早く出たいですね。あ!(2024年より)早く出ちゃだめなんだ!」(会場爆笑)

 立教が箱根に? なぜ2024年に? 

 私もこの「奇跡のような目標」を最初は冗談半分に受けとっていたが、郭総長や上野監督、大学関係者に話を聞くうちに、大まじめな「立教箱根駅伝2024」と名付けた事業計画は、かなり実現性があるのではないか、不可能とはいえないと思うようになってきた。

2024年は創立150周年、箱根駅伝100回目

 2024年、つまり5年後には立教大は創立150周年を迎える。一方、正月の国民的行事となった箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)はこの年、100回目に。ともにきりがいい。

 2018年4月に総長に就任した郭氏は、大学院から教員生活の全てを立教一筋で過ごしてきた。全国にも数少ない150年を数える伝統校の記念事業として、「卒業生約21万人、学生約2万人、保護者らファミリー合わせて27、8万人が一体感を持って関心や注目を集める事業とは何だろうか」と考えてきたという。

 郭総長は学生時代、バスケットの選手で、6大学野球でもしばしば神宮球場に足を運ぶスポーツ好きだが、とりわけ正月の箱根駅伝ファンでもあった。「歴史のあるたすきを過去から現在へ、そして未来へとつないでいく。単にその舞台に立つのだけでなく、そのプロセスが一体感をつくるのではないか」(郭総長)というアイデアが浸透し、2018年11月、大学全体の事業としてスタートした。

 立教大陸上競技部は箱根駅伝が始まった1920年に創部。1934年に箱根に初出場した。通算27回も出場し、1957年には総合3位にもなった紛れもない「古豪」なのだが、1968年を最後に出場が途絶えている。

今年の箱根駅伝。復路8区で東海大(左)と東洋大が激しく競り合った=1月3日、神奈川県茅ケ崎市

「箱根」への険しい道

 箱根に出るための道は険しい。

 出場資格や学校数の規則は時折変わるが、2019年1月2日、3日に東京・大手町~神奈川・箱根町芦ノ湖までの往復217キロを競った第95回大会を例にとると――。

 本戦に出場できたのは、22校と関東インカレ成績枠1校(これは95回記念大会だったため)の計23チーム。前年に10位以内に入ってシード権を獲得した大学と、予選会の上位11校が本大会に出場した。

 予選会は2018年10月に陸上自衛隊立川駐屯地付近で開かれ、各校10~12人が出場。各自ハーフマラソン(21キロ余)を走り、上位10人の合計タイムを競って上位11校が本戦に出場し、あわせて関東学生連合チームも編成された。

 要するに、毎年のように出場する「常連校」になるには、本戦で常にシード権をキープし、それ以下だと予選会から出発して過酷な競争に勝ち残らなければならない。

 予選会には2018年の場合、39校も出場し、本戦出場権を得た11位の上武大学と涙をのんだ12位の麗沢大学の差は10人合わせて2分弱とぎりぎりの勝負だった。

 立教大学は28位ではるかに及ばず、上武大学とは38分もの差があったのだ。

 単純計算すれば、11位に入るのには選手1人当たり4分程度短縮しなければ本戦出場には届かない。

 この「難事業」をなしとげるには、緻密なロードマップ(工程表)と、大学全体のバックアップが欠かせない。

 立教大学にとっては、単なるイベントを超えて大学全体の底上げ、ブランド力アップにつなげようとしている。その郭総長が別な機会にインタビューに応じてくれた。

郭洋春・立教大学総長=2019年7月12日、東京都豊島区の立教大

郭総長にインタビュー

――「立教箱根駅伝2024」と大学全体の将来構想との関係はどうお考えでしょう。

 もちろん箱根に出られる保証はまったくないのですが、校友(OB・OG)の方々にすでに応援していただいています。未来に向かって、たすきをつないでいく、という150年近く続く建学の精神にもふさわしいと思っています。毎年の予選会で6位ぐらいずつ上がっていければいいのですが、もちろん簡単に出られるなどと思っていません。出るんだ!という一丸となった気持ちが大切なのです。

――選手集めに特別なことをするのでしょうか?

 2008年度からアスリート選抜入試という入試をしています。入学を確約するものではないのですが、競技成績を中心に見る1次選考と小論文・面接の2次選考を通じて審査するものです。さらに来年度からは枠を増やして陸上競技部を充実させる計画です。また、集団生活のために新座キャンパス近くに専用の学生寮を建設中で、2020年2月に竣工予定です。

――150年を迎える立教大学の強みと弱みは?

 強みは一貫した『リベラルアーツ教育』です。日本語で説明しにくいのですが、私は、モノの見方や考え方、人生の生き方を問う教育と言っています。人生の構想力や異文化の理解、グローバル化した社会・世界でダイバーシティー(多様性)を身に付けることが必要です。多様性にはスポーツや芸術も含まれますので、箱根駅伝を目指すこととも共通しています。人生100年時代がやってくるとすれば、大学を出てから80年も人生がある。そう人生の構想力を磨いていくことが、さらに重要になります。その多様な価値観を身に付けるために、ぶれない教育が大事だと思っています。

 一方で、このリベラルアーツ教育の重要性、素晴らしさを、他大学に比べてまだうまく打ち出せていないと感じています。学生の4分の3は、東京と首都圏3県の出身です。特に西日本では知名度が高いとはいえません。全国ブランドかというと、そうでもないのです。(箱根のプロジェクトを通じて)より多くの地方の方々に大学を知っていただけるかなと思っています。

――最近、脱マーチ(MARCH=明治、青山学院、立教、中央、法政の略)宣言とか、新たな枠組みとしてRJK(立教、上智、慶応)とかを提唱されていますが。

 (マーチは)偏差値で輪切りされていますよね。偏差値でひとくくりにくくられるのではなく、オンリーワンというか、ピリッと辛い、光るものを目指したいと思っているものですから。そういう意味では、(RJKは)上智や慶応と似ていると。我々のスタンス、我々が意識すべき大学かなあと思いまして。

上野裕一郎・立教大陸上競技部男子駅伝監督=2019年7月13日、長野県上田市

「夢物語」の前例は…青学大

 上野監督によれば、就任早々は、厳しい練習メニューを強制することは一切せず、信頼関係を築くことを第一に心がけてきたという。

 「最初は、練習の後、会話もしないで帰ってしまう部員ばかりだったので驚きました。私の高校や大学は、全国大会に出るのが当然の雰囲気でしたが、『今日はこんな走りでした』などと内容や課題を監督と話すのが当たり前でしたが。話をしようと選手を待っていても誰も来ないので、24人の部員と、1日に少なくとも1回以上は直接話すようにしました。強くなれるかどうかは、指導者を信じることができるかどうかで決まると思っています。こうしなさいという指導者を信じることができなければ厳しい練習をする意味も信じられないのですから」

 この夢物語を導く指導者がいるとすれば…。実は前例がある。今をときめく青山学院大だ。

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