動物の苦しみのうえに成り立つ、ペットをめぐる商業主義
2020年01月08日
ペット用品も多く扱う、近くのホームセンターにペット譲渡会のお知らせが貼ってあった。
「多頭飼育崩壊」の犬や猫が多数、と書いてあった。曖昧な表現だけれど、遺棄されるペットが減らない本質を表している。
環境省が2015年に立ち上げた「人と動物が幸せに暮らす社会の実現プロジェクト」で、犬と猫の殺処分ゼロを目指す国の方針が示された(「人と動物が幸せに暮らす社会の実現プロジェクト 概要」環境省 2014年)。これに従って、現在多くの自治体が動物愛護センター(以前は保健所)での殺処分を減らし、ゼロにすることを目指している。
だが、実際には、自治体から犬や猫を引き受けているのは非営利団体のボランティアたちなのだ。全国にはたくさんの団体があり、地元自治体の動物殺処分ゼロを目指して、懸命の努力を続けているが、遺棄される動物は後を絶たない。善意だけで活動を続けている保護団体はどこもパンク寸前といっていいだろう。(「保護団体はパンク寸前!不幸な猫を一匹でも減らすために一番大切なこと」 一乗谷かおり サライ 2017年4月12日)
もちろん、個人が軽い気持ちでペットを飼って放棄する場合や、アニマル・ホーディングと呼ばれるような、飼育しきれない数の野良猫などを個人的に集めすぎて崩壊するケースもある。
自治体とボランティアが協力して、殺処分ゼロを目指していても、大量に動物が遺棄されてしまうなら、まさにイタチごっこだし、何も解決するわけがない。
こういうニュースが報道されると、必ずと言っていいほど当事者は「悪徳な業者」とカッコがつけられて、「ちゃんとした業者もいます」的なフォローがされるのだが、それって本当なのだろうか?
正直、日本のペット産業は、今のところ、社会通念上というか常識として、許容できる範囲を大きく超えた動物の苦しみの上に成り立っている。
ペットの生体販売には批判が多い。ペットが早く大きくならないように食事量を制限する場合もあるし、売れ残った動物の末路は、放置され死ぬか、引き取り屋に引き取られ死ぬか、子犬、子猫工場で死ぬまで子どもを「再生産」するか、いずれにしろ悲惨で壮絶な世界だ。(「あまりに酷いペット店頭生体販売の実態。動物好きのスタッフも壊す惨状」週刊SPA! 2019年11月18日、「週2で手のひらサイズの子犬や子猫を『新入荷』」同 2019年11月20日)
世界ではこの状態はすでに常識ではない。
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