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「孤立社会」日本を襲ったコロナ危機。個人の孤立化を進めないために

ポストコロナを生きる② ソーシャルディスタンスの時代に他者との関係をどうつくるか

奥田知志 NPO法人抱樸理事長、東八幡キリスト教会牧師

 「コロナ前は戻るべき場所ではない。新たな社会を創るために」に引き続き、ポストコロナの生き方について論じる。今回は、社会における孤立について考えたい。

コロナ禍で隔絶された私達

自立とは支援されたり、与えられたりするものではなく、自ら学び、選び取るものだと奥田さんは考えている。

 日本の今の社会が抱える脆弱性として前回、「仕事と住宅の一体構造」を挙げたが、本稿ではもうひとつの脆弱性である「社会的孤立」を取り上げる。

 コロナ禍で私達は隔絶された。「ソーシャルディスタンス」を守らざる得ない状況のもと、「ステイホーム」や「マスク」は「律法」となり、それを守っていないと「白い目」で見られるようになった。そして私達は、誰とも会わない日々に慣れつつある。

 「それでは寂しい」と感じ、ならば「ネット」で繋がろうと頑張ってみた。ネット会議、テレワーク、ウーバーイーツ……。新しいつながりが一気に広がり、柔軟(従順)性に富んだ国民性も助けとなって、「新しい生活様式(スタイル)」へと社会が移行しつつあるようにも見える。私もやってはみたが、「これがつながりか」と少々不安になった。

 そんな流れに置いてけぼりを食らった人もいる。「インターネットで申請してください」と当然のように言われても、その意味さえ分からない人はどうすればいいのか。「ついてこれないあなたが悪い。自己責任だ」と言われてしまうのがおちか。これでは、全然新しくない。

 緊急事態宣言の期間中、飲食店もスポーツジムも自粛に追い込まれた。ライブハウスはスケープゴート状態。誰もいないステージからは声なき悲鳴が聞こえてきた。だが、困窮者支援を続ける私達の認定NPO法人「抱樸(ほうぼく)」は、8割の行動自粛をと言われたところで、どだい無理な相談だ。訪問活動(そもそも病院や施設へ立ち入が禁じられている)や就労訓練事業のレストランなどは休業に追い込まれたが、それ以外の活動は困窮者の増加に従い、逆に忙しくなっている。

「孤立」はいっそう深刻化

 炊き出しを止めた団体もあるようだが、私達は続けた。ただ、やり方は変え、弁当や物資を配り終えた途端、解散にした。くやしさを晴らすため、ボランティア部の呼びかけで全国の支援者が手紙を書き、弁当に添えた。

 抱樸の支援は「伴走型支援」といい、「濃厚接触」が基本だ。それは、従来の課題解決が目的の支援ではなく、「つながり(伴走)」を目的とした支援だからだ。「孤立」が深刻化した時代に生まれた支援のかたちと言える。これもまた、「新型コロナ」以前からあった問題だが、コロナで孤立はいっそう進むと思う。

 今から32年前の1988年12月、NPO法人抱樸は、おにぎりと豚汁をもって野宿する人々を訪ね始めた。もちろん、炊き出しだけでは問題は解決しない。1990年頃から、住宅の支援を始めた。当時、路上生活者の抱える「困窮」は、「家が無いこと」と「仕事が無いこと(仕事が出来ない人には生活保護を申請)」だと考えていたからだ。アパートを提供し、就労支援や生活保護申請を始めた。

見落としていた大切なこと

 最初に居宅を提供したのは70歳代の男性だった。無事に入居をすませ、生活保護の申請をした。ところが、入居後数カ月して、大家から「異臭がする」との連絡が入った。訪ねるとすでに電気は止まっており、家はゴミ屋敷状態。本人は無事だったが、ボランティアが総出で部屋を片づけた。

 なぜ、こんなことになったのか。

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