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北朝鮮:ワールドカップ、権力承継、そして人権

土井香苗

土井香苗 国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表

 サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で16強入りを果たした日本代表チーム。6月に凱旋帰国したとき、岡田武史監督率いる「サムライブルー」たちを、関西国際空港で何千人もの人びとが熱狂的に出迎えた。実際、日本代表の活躍は予想をはるかに超えるものだった。W杯前、ちまたでは「3戦全敗、グループステージで敗退」という最悪のシナリオも予想されていた。

 その最悪のシナリオが現実となってしまったチームがある。北朝鮮代表チームだ。グループリーグで3戦全敗で帰国した北朝鮮代表チーム。彼らに対し、何らかの罰が科せられるのではないかとの懸念が北朝鮮専門家の間で巻き起こった。結局、帰国後の数週間は何も報じられなかったが、その後ラジオ自由アジア(RFA)の報道が世界中を駆けめぐった。

 ラジオ自由アジアは、3つの独立した情報筋からの情報として、7月2日、平壌の人民文化宮殿で北朝鮮サッカー代表チームが6時間にわたり屈辱的な公開の「思想批判」を受けた、と報道。朴明哲(パク・ミョンチョル)体育相とテレビ解説者でスポーツ科学研究所所属のリ・ドンキュウ教授が公開批判を取り仕切り、その他、競技団体、政府関連機関に所属するスポーツ選手など400名が集会に参加したと伝えた。

 参加者たちの前に立たされた代表選手たちとキム・ジョンフン監督に対し、リ教授と体操省関係者らが各選手の弱点を批判し他の参加者もこれに続いたという。批判集会の終盤はキム監督批判となり、選手一人一人もキム監督批判をさせられたと伝えられた。その後更なる厳罰処分があったかどうかは今のところ明らかになっていない。このラジオ自由アジアによる報道の真偽をヒューマン・ライツ・ウォッチは独自に確認することはできていない。

 しかしながら、北朝鮮代表チームが40年以上前の1966年のワールドカップ後にたどった運命を考えると、今回の北朝鮮代表に対する仕打ちにも懸念を抱く理由がある。1966年の北朝鮮代表チームは当時最強のイタリアに勝利し、なんと準決勝まで進んだ。しかし、ポルトガルに5対3で敗北。帰国した選手たちは当初、国民的英雄として迎えられたが、スターとしての地位は長く続かなかった。北朝鮮からの脱北者たちは、当時の監督や選手たちも今回と同じような思想批判集会でつるしあげられたと証言する。しかも、1966年代表チームは僻地に追放されて厳しい環境下で強制労働に従事させられた(強制収容所送りを示唆)というのだ。

 北朝鮮政府は、なぜ1966年代表チームを罰したのか理由を説明していない。それどころか、処罰の事実さえ認めていない。BBCが北朝鮮政府の許可を得て撮影した、2002年のドキュメンタリー「奇跡のイレブン -1966年北朝鮮vsイタリア戦の真実-」に収録された証言によれば、

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