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小沢氏の対米関係激変の理由はどこに

春名幹男

春名幹男 早稲田大学客員教授(米政治安保、インテリジェンス)

 民主党代表選挙で小沢一郎氏の発言を聞いていると、20年前の小沢氏は一体何者だったのか、と不思議に思う。

 小沢氏と米国との関係である。

 1980年代後半から90年代初めごろまで、官房副長官、自民党幹事長などとして米国側と交渉に当たった小沢氏は米国にとって本当に頼りになる存在だった。

 ブッシュ(父)政権の時代、「ミスター外圧」と呼ばれたアマコスト駐日米大使は首相よりも小沢氏と会談した回数の方が多い、とまで言われた。

 90年の日米電気通信交渉では、政府特使として訪米、当時のヒルズ米通商代表との会談で、日本の通信市場開放に応じた。合意がなかったら、日本の携帯電話導入はさらに遅れただろう。

 日米構造協議でも、10年間の日本の公共投資額を430兆円とすることで決着させた。

 イラクのクウェート侵攻を機に盛り上がった自衛隊の国際貢献論議ではアマコスト大使と小沢氏の会談がしばしば伝えられた。同大使は自民党を動かしているのは竹下登元首相、金丸信元自民党副総裁、小沢元幹事長らだと見抜き、積極的に食い込んだ。

 90年、構造協議を決着へと導いたのは、「十カ年の公共投資額を四百五十兆円にすべし」との金丸元副総裁の発言(結果は430兆円)だ。金丸氏は小沢氏の政治の師だった。

 小沢氏は米国を念頭に「普通の国」論を展開した。米国立公園のグランド・キャニオンの谷間では、日本で見られる「これより先危険」といった看板はない、と規制緩和を主張した。米国と同じ小選挙区制の導入にも尽力した。

 しかし、現在の小沢氏の態度は米国側から見れば「反米」と映る。シーファー前駐日米大使やクリントン国務長官との会談も自ら進んで応じようとしなかった。

 自分が主宰する政治塾で

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