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菅人事を谷垣人事から読む

曽我豪

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

 政治記事というのは、ちょっとはすに構えてシニカルに書いたほうがもっともらしく見えるから厄介だ。例えば、菅改造内閣は「脱小沢」路線を貫徹した、だから小沢一郎勢力が党内野党化して早晩政権が行き詰まるか党分裂だ、と政局風に解説されるとなんとなくわかったような気になる。

 だがもとより小沢対反小沢で一歩も引かぬ代表選をやった後のことだ、挙党態勢をの声に押されて妥協したのかと評されては元も子もないのだから、菅直人首相や仙谷由人官房長官にとって「脱小沢」人事は物事が流れ着く所に流れ着いただけに過ぎない。

 そもそも先回も書いた通り、菅首相以上の強い自意識でもって小沢氏との全面対決を覚悟した仙谷氏にすれば、この代表選という結節点までの流れと政権を安定化させる次の展開とを深く計算してきたに違いない。つまり脱小沢の旗印だけでは政権を切り回す司令塔として目標の半分しか達し得ないのだ。

 ではもうひとつの目標とは何か。それを証明するには遠回りにはなるが、まずは1週間前に谷垣禎一総裁が行った自民党人事を振り返らなければならない。

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 昨夏の政権下野直後ばたばたと野党第1党総裁に就いた谷垣氏にすれば今夏の参院選のあとさき、何度も執行部刷新のタイミングはあった。それを退けてきた慎重居士がこの民主党代表選の前を選んだ最後のきっかけは、結果的に幹事長から副総裁への人事を承諾した大島理森氏の逆提案だったという。

 菅が勝とうが小沢が勝とうが民主党の人事をみてから後出しジャンケンで人事をやるようではお里が知れる。とくに世代交代を進めるのであれば先手必勝だ。いずれにせよ、次の政治の要は予算協議、政党間協議なのだから――。つまり2人の間では、後継幹事長は石原伸晃、というのが暗黙の了解だった。

 なぜか。1998年の金融国会、小渕政権下で谷垣氏は宮沢喜一蔵相の下の大蔵政務次官、大島氏は筆頭の国会対策副委員長、そして石原氏は現場の特別委理事だった。12年前の衆参ねじれ国会下で民主党と金融再生策をまとめた共有体験を持つ仲間である。

 もちろん石原氏の押しの弱さ、未知数の党内掌握力に不安はあった。だがあのときもテレビで見せた彼の情報発信力、それ以上に枝野幸男氏らと共に「政策新人類」と評された彼の世代的な人脈に谷垣氏は賭けることにしたのだった。

 ただし、大島氏が兄貴役として副総裁で国会対策も助言する。政調会長は石破茂氏の留任だが、同時に「影の内閣」の官房長官として遇する。総務会長は最初、野田聖子氏と考えたが、例の「妊娠」でさすがに無理、それでも小池百合子氏でこれも世代交代を印象づける。いや、本来なら党の最高の議決機関である総務会のトップは長老格が就任するのがならわしだが、うるさ型だと石原氏にはやはり重荷だ……。

 こう書いてくれば谷垣人事の要諦は明白だろう。

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