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前原辞任の背後にある日本人の「外国人嫌い」

脇阪紀行

脇阪紀行 大阪大学未来共生プログラム特任教授(メディア論、EU、未来共生学)

 在日韓国人からの献金をめぐる前原誠司氏の辞任劇を見ていて思い出したのは、「パブロフの犬」の話だった。「外国人からの献金」と聞いただけで「辞任」と反応する日本の政治の姿は、例えは悪いが、ベルを鳴らしただけで唾液が出る条件反射を示す犬にどこか似ている。

 この献金問題の経緯がいかに庶民感情とかけ離れた世界で繰り広げられたか、今さら多くを語る必要はないだろう。

 25万円を献金した女性は、前原氏が中学2年に引っ越した京都・山科の自宅近くで焼き肉屋を経営していた。72歳の女性は「我が子のようで、少しでも応援しようと思った」「在日の献金はダメだとは知らなかった」と語っている。この女性に政治的背景があると、国会で追究した自民党議員でさえ指摘していない。庶民の目線に立てば、このおばちゃんの行動は理解できるし、これが法律違反になるのであれば、前原氏はお金を返金したらいいということではないだろうか。

 政治の世界は、権力闘争のためには庶民感情などはやすやすと切り捨てるものかもしれない。しかし問題は、政治家もメディアも「外国人の献金」という言葉に思考停止に陥ったまま引きずられてしまったことだ。

 最近の事例を見ると、福田康夫元首相が地元のパチンコ会社社長らから20万円、民主党の岡崎トミ子議員が朝鮮籍と韓国籍の男性2人から計4万円を受け取っていた。こうした問題が表面化するごとに、反対党はその政治家を批判し、糾弾してきた。

 攻撃する側にとって好都合なのは、「外国人嫌い」の感情を批判のエネルギーとして利用できることだろう。在日コリアンへの伝統的な差別感情に加えて、最近の世論調査では北朝鮮や中国を「嫌い」と答える人の割合が多い。批判は、これらが共鳴しあう形で政界に広がったと私には思える。

 将来に向けた解決策としては、第1に国内にいる外国人の献金をある程度認めること、第2に「外国人嫌い」の感情をなだめ、克服すること、が考えられる。第1の点は、外国人の一定の献金を認めているドイツの例があるが、日本では参政権などの問題が絡むため、別の機会で論じたい。

 では、日本独自の「外国人嫌い」の感情をなだめ、克服するために何が必要なのだろうか。アジア、とくに中国や北朝鮮、さらにロシアとの間で抱える外交問題の解決が真っ先に必要なことは言うまでもない。それは新外相はもちろん、日本外交にとっての重い課題である。ただ、こうした課題を解決してもなお、根雪にように残る外国人嫌いの感情が日本にはあるのではないか。ここで指摘しておきたいのは、この根雪の問題である。

 日本には現在、外国人登録者だけで219万人の「外国人」がいる。1980年代までは特別永住者の資格を持つ在日コリアンが大半を占めたが、その後、中国や韓国、フィリピンなどアジア各国からの農村花嫁や研修生、労働者が増加。この間、「在日」の人々の間には帰化して日本国籍を取る人も増え、「在日」の人口は大きく減った。

 もう一つの変化は、日系ブラジル人や国際結婚で来日した人々の中で、10年前後の日本滞在の後、一般永住者の資格を取る人が年間4~5万人も増えていることだ。いまや特別永住者を含めた永住者の比率は今や全体の43%に達している。「定住者」や「日本人の配偶者等」を加えると、総数は6割を越える。

 つまり、研修や留学など一時滞在の外国人を除くと6割以上が定住・永住者なのだ。外国人人口の比率は欧米に比べれば小さいが、今後、日本の人口減と高齢化が進めば、この比率が上がっていくのは確実だ。すでに例えば東京・新宿区は人口の11%が外国籍で、「隣に住む人は外国人」という社会に近い。地方には外国人がいなければ共同体の崩壊が早まりかねないという農村も出てきている。

 日本人の認識が、こうした現実に追いついていないのは言うまでもない。外国人はまだ自分が住むコミュニティでは例外的な存在だと思っている人がほとんどではないだろうか。政府や自治体にしても、来日してきた外国人に日本語や日本のマナーを教えることもなく、放置してきたのも同然だった。

 その結果、何が起きているのか。笹川平和財団の研究班によると、愛知県が2年前に行った県民意識調査で、「外国人が増えることをどう思いますか」との質問に対して、「治安が悪化する可能性がある」が26・4%、「習慣・文化の違いからトラブルが起こる」が15・1%に達した。もちろん、「外国の言語や文化を知る機会が増える」「外国人と交流できる」「経済的発展につながる」といった肯定的回答が合わせて35%に達したが、回答者の40%以上が否定的な反応だったことは、いかに外国人への警戒感・不信感が日本社会に根づいているかがわかる。

 こうした現実と認識のギャップがなぜ起きたのだろうか。

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