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辺野古移設案の「変質」――「惰性」からいかに脱するか

櫻田淳 東洋学園大学教授

 在沖米軍普天間基地移設に絡む紛糾は、結局のところは、沖縄を相手にした「対内交渉」の課題に落ち着きつつある。

会見する一川保夫防衛相(左)とパネッタ米国防長官=10月25日、防衛省で

 十月二十五日、一川保夫(防衛大臣)は来日中のレオン・E・パネッタ(米国国防長官)と会談し、普天間基地の名護市辺野古地区への移設を趣旨とする六月の日米合意を推進する方針を確認した。野田佳彦(内閣総理大臣)と一川は、パネッタに対して、辺野古に代替施設の建設に向けた環境影響評価の書類を年内に沖縄県に提出する方針を説明した。

 これに加えて、二十六日午前、玄葉光一郎(外務大臣)は、衆議院外務委員会質疑の席で、二〇〇九年八月衆議院選挙直前に鳩山由紀夫(当時、民主党代表)が示した「最低でも県外」方針を『誤りだった』と評する発言をしている。

 確かに、純粋に安全保障上の観点からすれば、在沖米軍基地の戦略上の価値は、中国の軍事上の隆盛を前にして、減じてはいない。沖縄を起点にした米国の安全保障上の関与が円滑に行われることは、特に西太平洋からインド洋に至る海域における「安定」の前提である。

 そもそも、普天間基地の返還は、普天間基地が抱える地勢上の危険を除くという意味では、「沖縄の安全保障上の負担」を減らす政策志向に沿うものとして位置付けられていたはずである。文字通りの「政治主導」の成果として普天間基地返還を実現させた橋本龍太郎(当時、内閣総理大臣)の意図は、そうしたものであった。

 故に、

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