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皇室典範改正の中身は皇室が決めるべきだ

櫻田淳

櫻田淳 東洋学園大学教授

 皇室典範の改正に結び付く議論の時節が、再開しようとしている。野田佳彦(内閣総理大臣)は、首相官邸での記者会見の席で、女性宮家の創設の是非に関し、「皇室活動の安定性という意味から大変、緊急性の高い課題と認識している」と語った。秋篠宮殿下は、天皇陛下の公務に関わる「定年制」の必要を提起された。現在の皇室制度は、「生身の人間」に支えられる制度としては、誠に憂慮すべき不安を抱えているのである。

記者会見で天皇陛下の公務の「定年制」について語った秋篠宮さまと紀子さま=11月22日、東京・元赤坂の秋篠宮邸

 筆者は、女性宮家の創設を含む皇室制度の運営に関わる事柄は、第一義としては天皇陛下を筆頭とする皇族の方々の判断に委ねられるべきであると唱えてきた。そもそも、皇室典範は、元々は皇室の「家法」とも呼ぶべき法典である。それは、明治憲法典制定以前の明治二十二年に制定されていたものであり、当初は明治憲法典の下位法ですらなかった。

 現在、皇室制度が国民の議論に供せられるものとされている根拠は、現行憲法典第二条に「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と規定され、その規定に応じて現行皇室典範が「法律」として制定されたからである。野田が語ったように、少なくとも現行法制上の建前では、皇室制度の不安の解消には、「国民的な議論」を経ることが必要なのである。

 しかし、小泉純一郎内閣下で私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(座長/吉川弘之、以下、「吉川懇談会」と略)が設置された折、そこに出現したのは、「男系維持か、それとも女系容認か」を趣旨とする誠に仰々しい議論と先鋭な対立の風景であった。

 普段、現行憲法典に代わる自主憲法の制定を主張し、皇室への崇敬を表明する「保守・右翼」層の中ですらも、皇室典範が皇室の「家法」である事情を踏まえた「躊躇」や「自制」を感じさせない向きがある。小泉内閣下の「吉川懇談会」報告書に対する彼らの反応が示唆するように、彼らもまた、現行憲法典を批判しながら、その一方で現行憲法典の規定に許される体裁で皇室典範の有り様を論じているのである。

 「吉川懇談会」報告書発表後の議論の沸騰を考え併せるとき、「法律」としての皇室典範の改正の過程でも、「男系維持か女系容認か」に絡む仰々しい議論と先鋭な対立の風景が再現されるであろうことは、想像に難くない。

 そもそも、皇室制度は、国民各層の「断絶」を埋め、その「統合」を担保する意味を持つ制度である。諸々の政治判断は、絶えず誰かを優遇し他の誰かを疎外した結果として生ずる「断絶」を織り込まざるを得ないけれども、皇室制度は、そうした政治判断の「不備」を中和する機能を果たしてきたのである。そうした制度を十全ならしめる際に、民主主義体制下における喧々諤々たる「国民的な議論」を経ることが相応しいのかということは、あらためて問われなければなるまい。

 故に、目下、検討対象として挙がっている女性宮家の創設や譲位の手続きの整備を含めて、具体的な典範改正の中身は、市井の喧騒から離れたところで、皇室の中での静かな議論を通じて決定されるべきであろう。無論、その議論の際には、法制、歴史、思想を含む様々な領域の学術上の知見が、適宜、参照されることもあろう。現行皇室典範は、国会の議決した「法律」であるけれども、その改正の立法過程では、皇室の判断に則った対応が行われるべきである。

 もっとも、こうした筆者の議論には、

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