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「素人」政治家が日本を救うためには

鈴木崇弘

鈴木崇弘 城西国際大学客員教授(政治学)

 朝日新聞5月2日付の記事「『素人』政治家 日本を救う?」は、受験者が殺到した橋下徹大阪市長の「維新政治塾」など昨今の政治塾ブームを受けて、政治家は素人であるべきか否かという面白い問題提起をしている。

 同記事は、古代アテネの政治や、現代民主主義の思想基盤となった社会契約論で有名なルソーも、素人政治を究極の理想としていると説く。また先に述べた政治塾などは、従来の政治家とは異なる政治家を生む、つまり「素人」の政治への参加を促している面を描いている。

 他方、同様に、野田佳彦総理を生んだ松下政経塾の理想は従来の政治家育成チャネルとは異なる、ある意味、素人から政治家になる道の構築であったが、同塾出身の政治家の評判が最近良くないことも指摘している。

 素人が政治家になることを、政治、特に民主主義の政治においてどのように考えるべきなのか。

 日本語の民主主義は、英語では”democracy”だ。この単語は、ギリシア語の“Demokratia”からきている言葉だ。その言葉は、”demos(people、人民)“ と“kratos(rule、支配)”からなる造語で、”rule by the people(人民による支配)”を意味する。

 ということは、現在の民主主義の多くが採っている代表制とは、要するに人民による支配、つまり素人による政治を意味しているわけである。当然、政治家や議員は、素人を代表できる要素を持っていること、極論すると、「素人」である必要があることを意味する(注1)。

 ただ他方で、比較的規模の小さな自治体は別として、大きな自治体、国や国際社会、特にグローバル化した国際社会での政治単位では、政治や政策の意味やその結果・成果を容易に想像したり、理解することが難しくなってきている。

 また政策内容は、従来のように限定された領域を超え、学際的になり、専門的に複雑化し、深化している。

 これらのことからもわかるように、政治や政策は、近年においては、いわゆるズブの「素人」にはますますわかりにくく、手に負えないものになっているのだ。

 こういう時代を背景にして、官僚制が政治や政策形成において影響力を増大させてきた側面がある。

 このような状況のなかで、先の記事にも記したように(注2)、民主主義は、「政治的要請である民意(つまり素人性)」と「複数の専門性」のバランスをとることで運営できる政治システムとなってきているのだ。このような民主主義においては、国民・有権者の代表である議員は、庶民性というか素人性(素人であるということは専門的なことに必ずしも熟知していないことを意味する)を担保しながら、専門性のある人材を活用し、場合によってはコントロールできないといけない。このような、ある意味で二律背反的要素を兼ね備えていないといけないことになる。

 さて、政治や政策において、素人が政治家になれる、あるいは素人性を担保するにはいくつかの工夫や対応が必要だ。

 まず、

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